サーカスサーカスとマフィア

サーカスサーカスとマフィア

マフィアグッズ専門店
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ラスベガスにあるカジノホテル サーカスサーカスの知られざる影の歴史を紹介していきます。

サーカスサーカスといえば、MGMリゾートが所有するカジノの一つで、特徴はその名の通り、無料でサーカスを観賞出来ること。

現在は多くの家族連れで賑わっています。

そんなサーカスサーカスとマフィアの関連とは?

サーカスサーカス 誕生

52年前、サーカスサーカスはラスベガスストリップの北端にオープン、その後、多くのカジノが閉鎖される中生き残ってきた老舗中の老舗カジノ。

そんなサーカスサーカスを造ったのは、ジェイ・サルノという人物。

サルノは同時、シーザーズパレスを造ったことで知られるやり手のカジノクリエイターだった。

サーカスサーカスのテーマはずばり〝家族連れが楽しめる施設〟

他のほとんどのカジノ運営者は、ストリップに家族向けのアトラクションを作成しようとは思っておらず、サルノはそこにチャンスを見いだしたのだった。

そして、1968年10月18日、サーカスサーカスのオープンには、10,000人を超える人々が集まった。

「行列は1ブロック以上伸びていました」と当時を知るラスベガスの歴史家は語る。

しかし、サーカスサーカスはすぐには成功しなかった。
1つの大きな問題は、ホテルの部屋の不足。サルノは、カジノがとても魅力的なら、ホテルは不要だと思っていたのだ。

もう一つの間違いは入場料を請求したこと。
観光客は2ドル、地元の人は1ドル。
これもサーカスの成功を妨げることになってしまう。

さらに、カジノフロアでサーカスを行うというアイデア自体にギャンブラーは困惑してしまっていた。。

サーカスサーカスとの成功

しかし、サーカスサーカスは次第に有名になり、世界中から最高のパフォーマーが一年中働くためにやってくるようになり、それはやがてシルク・ドゥ・ソレイユのショーの基礎となる。

また、サーカスサーカスがオープンする以前は、スロットマシンは本物のギャンブルではないと言われていた。

単調で低賃金の娯楽と見なされていたのだ。
しかし、サルノはカジノ業界の未来は機械的なゲームにあると見た。

その先見の明は確かなもので、1983年までに、スロットマシンはテーブルゲームよりも多くの金を稼ぐようになった。

サーカスサーカスとマフィア

順調なサーカスサーカスだったが、ネバダゲーム委員会はサルノの免許を剥奪すると宣告。

数か月後、ネバダゲーム委員会は、サルノが自分の経営方法を変えるという条件で免許の剥奪を取り止めた。

具体的に言うとサルノはホテルを建てるように迫られたのだった

そこでサルノはチームスターズからの融資を求めようと思い立つ。

しかし旧友のジミー・ホッファが刑務所で服役中だった為、カンザスシティマフィアのボスであるニック・シヴェラに会いに行き、融資を頼んだ。

1971年、チームスターズはサルノに760万ドルの融資を行い、彼は414室のホテルを建設する事が出来た。

しかし、この融資は悪魔との契約。
マフィアはサーカスサーカスに対して〝当然の権利〟を主張するように。

シベラや仲間達が銃を携帯して、毎日のようにやって来て、やがてサーカスサーカスはラスベガスで最も悪名高いマフィアのたまり場と化してしまう。

そしてサルノは〝当然の権利〟の主張を受け入れ、現金の入ったスーツケースがサーカスサーカスからカンザスシティーとシカゴに送られるようになった。

トニー・スピロトロとサーカスサーカス

映画「カジノ」で描かれた通り 凶暴なマフィア トニー・スピロトロがラスベガスに現れた。

右 スピロトロと妻と息子

シカゴマフィア アウトフィットを後ろ楯を利用し、スピロトロはサーカスサーカス内にギフトショップとジュエリーショップをオープン。

サーカスサーカスは大きな収入原を失うことに。

やがて不正の温床となったサーカスサーカスは国税庁に目をつけられてしまう。

サルノはいよいよサーカスサーカスから距離を置かなければと危機感を募らせ始めた。

1974年5月にサルノは運営を別の人物、ベネットとペニントンというビジネスマンに任せ、一線から退く事を決める。

しかしサーカスサーカスと完全に縁を切った訳ではなく、サルノは14階のスイートに住み続けていた。

一方運営を任されたベネットとペニントンは、カジノを改築し、ギャンブラーからサーカスを遠ざける。

さらに象ターニャ(フロアを歩き回っていた)を引退させたり、スピロトロをなんとか説得し、マフィアをカジノから追放するなど改革を行った。

1983年、ベネットとペニントンはサーカスサーカスを7200万ドルで購入。

そして最後の邪魔者サルノをスイートの部屋から追い出した。

その後もベネットとペニントンはカジノ事業を拡大してゆき、エクスカリバー、ルクソール、マンダレイベイなどのカジノを次々とオープンさせ大成功した。

やがて彼らのカジノは、MGMに所有権が移ったが、彼らの造ったカジノは今も健在である。

現在、サーカスサーカスは3,700室以上の客室を備えており、年間7000万ドル以上の営業利益を産み出している。

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