原作 アイリッシュマンの名言
アイリッシュマン
今回は映画「アイリッシュマン」の原作に登場した名言の数々を紹介していきます!
映画版の名言はこちら
フランクシーラン
・悲しいがオーストラリア、地球の反対側へ行ってしまったというわけだ。
再会できる日まで、おれはわが友を恋しく思うだろ
言うまでもなく友とはホッファの事です!
・重要な電話を自宅からかけるようでは俺のように長生きできない。
・長年オルグをしていたから、どんな時も話を切り出す前に再度よく考える事が大切だと身をもってしっていた。
・どれだけタフであろうと、どれどけ自分がタフだと思っていようと関係ない。
連中が殺すと決めれば殺される。
・全員が恐怖にかられていた。それを認めたがらない者もいる。 認めようが認めまいがどうだっていい。 どの道怖がってたんだからな
・祷りを数えきれない程となえた。
ここから生きて出られさえすれば、もう二度と犯罪は犯しませんと。
女にもワインにも二度と手を出しません、悪態も二度とつきませんと誓った。
・人は生まれた時から、定められた二つの日がある。 生まれる日と死ぬ日だ。
・若いと誰だってそうだが、おれたちも自分は永遠に生きると思っていた。
このセリフは映画の後半に登場しています
・おれはジアンカーナに言おうとした。チンピラ集団だ、能なしのチンピラの集まりだと
ジアンカーナとはシカゴのボス サム・ジアンカーナのこと
・まるで白鯨を追い続ける男を描いた昔の小説のようだった。
ボビーとジミーはたがいに顔を合わせた時だけ、どちらも白鯨を追う男になった。同時に、追われる白鯨でもあった。
・‘‘いついかなるときも相手がナイフを持っていたら逃げろ、銃ならば向かっていけ’’それはどうだかな。
状況を読むことだ。
銃を持った相手の不意を突ける場合、ジミーの言い分は正しい。
こっちが攻勢に出ることは予想していないからだ。
だが、嘘をつけないならば、距離を詰めれば詰めるほど、こっちは恰好の的になる。
ナイフの場合はたいてい、実際に切りつけられるまでナイフは見えない。
最善の策は、世間知らずの青二才のふりをすることだ。
・それが半端者を使ったときの問題だ。連中は正確さを欠く。
・おれたちの世界で信用をえたいならば、口は閉じていることだ。
・尊敬の念は金で買えるものではない、勝ち取るものだ。
・大したことじゃない。忙しく動き回っているときは見誤ることもある
・安らぎを求める者を責めるつもりはない
・おれは連中に顔をシャベルでひっぱたかれ、カフスボタンをむしりとられるまで、ホッファの右腕でいる
・ラッセルはしばらく何も言わなかった。無言で料理を口に運んでいた。ラッセルに異を唱えるものはいなかったし、ラッセルが同じ質問を2度することもまずなかった。
・ああいう時にあれこれ考え出すと、どれほど神経が図太くても緊張が増してきて、頭が混乱しだす。
愚かな行為に走ってしまうこともある。
おれは戦争で、必要に応じて感情をコントロールするすべを身に付けていた。
・うちの親父も、おれにボクシングのグローヴを放るときは、誰も自分には触れることが出来ないと思っていた。
だが、誰だって血は流す。
マフィア相手に引かないホッファを見ての言葉です
・虚勢ばかり張っていて、自分の股ぐらにタマがついているか見てみろと言ってやりたくなるやつだった。
・誰かが“…したのか?”と言ったら、勘定をつかんで店を出るに限る
・おれは信念にもとづいて生きてきた。
生き方を変えたとは思われたくない。
・もう必要ないと言われたら黙って立ち去れ
これは男女関係についての言葉
・俺は83年間、地獄のような日々を送り、何人かを叩きのめした。それが俺のしたことだ。
・時間は人生をさかのぼる、だな。
ホッファと写真を撮った時は数十年後に見返すときの状況は想像もつかなかった。というシーン
ジミーホッファ
・私は相手が私にすることを相手にする。ちょっとばかり相手を上回ることをな
・私には欠点があるかもしれないが、そのなかに間違いを犯すという項目はない
・ホッファは裏口を使わない、それに、わが組合員のいる通路を、警官につきそわれぬた歩く気もない。アイリッシュマンがいればそれでいい
・彼が屈服するなどータオルを投げ入れるなど考えられない。あり得ない
・刑務所というのは旧態依然としていて、非情で囚人を更正させる力もなく、人を詰め込むだけ詰め込んだ地獄もどきの穴蔵だ
・俺をコケにしたやつらは全員報いを受けるがいい
・フィッツは愚かさよりも傲慢さのほうがはるかに上回る
ラッセル・ブファリーノ
・疑いが生じたらそれを真実だと思え
作中でも最も重要な言葉。
このルールに従って多くのマフィアが殺害されます。
・おまえがおれの歳になったら、いま以上のことがあるとわかる