「外科医」と呼ばれたマフィア
クリーブランド・マフィアのメンバーに「外科医」と呼ばれた男がいた。
彼はライバルの遺体を解体することに喜びを感じていたようだった。
ハルトムット・“ハンス”・グレーヴェの暴力的な生涯は、オハイオ州北東部から遠く離れたテキサス州の連邦刑務所で幕を閉じた。彼は10月27日に78歳で亡くなり、裁判所関係者は提出書類の中でそのニュースを伝えた。
フォートワースのタラント郡検視局はまだ死因について判断を下していないが、糖尿病、心臓病、血栓、高血圧などのさまざまな病気を患っていたことが原因だと思われている。
グレーヴェについて、弁護士のマーク・スタントンはこう語る。
「彼は、私がこれまで会った中で最も威圧的な男の一人でした」
1983年、グレイウェはクリーブランド・マフィアの副ボス、アンジェロ・“ビッグ・アンジュ”・ロナルドや他の数名とともに終身刑と103年の懲役刑を宣告された。
グレイヴェがかかわっていた犯罪は爆破、殺害、遺体の解体。
さらにコカイン、メタクアロン、LSD、その他の麻薬の販売もしていた。
FBI捜査官らは、グレイヴェと仲間たちが年間1500万ドルを稼ぎ、麻薬王国を守るために商売敵を殺害していたとみている。
生い立ち
グレーヴェは実はイタリア人ではなくドイツ人である。
彼はトレモントで育ち、リンカーン高校に通った。
それ以上のことは今もわかっていない。
彼が初めて犯罪に手を染めたとみられるのは1972年。妻を殺害し、遺体を解体した事件だ。
1981年、FBI捜査官は妻の遺体を見つけるために彼の農場を捜索。
壁に隠された19丁の銃を発見した。だが結局、妻の遺体は見つからなかった。
1983年の裁判では、マフィアを助けるために賄賂を受け取った悪徳警官、マフィアがカヤホガ郡とサミット郡にばら撒いた大量の麻薬、そしてグレイウェが解体した6つの死体ついての証言が取り上げられた。
証言した中には、グレイウェの元ボディガードであるキース・リットソンも含まれていた。
「1978年、グレーウェはザガリアの魚屋内で彼の後頭部を撃った。彼らは子猫のトイレを使って血を採取し、遺体をプラスチックの防水シートと鎖で包み、採石場にリットソン君の遺体を捨てた。
同年、グレイウェは、エッジウォーター・マリーナ沖のエリー湖で、コカイン売人をボートに乗せ、アヒルを見ている隙に後頭部を撃ったうえ、アンカーで殴った」
グレーウェが犯した殺人はこれだけではない。
1980年に収益の分配を拒否したギャンブラーを殺害し、頭と手を切り落とし、遺体をアシュタブラ郡のベリー畑に遺棄した。さらに同年、グレイウェはライバルの麻薬売人2人を殺害した。彼らの遺体は細かく処理されいまだに見つかっていない。
1981年、グレーウェはマリファナの代金2,000ポンドをちょろまかした麻薬売人を殺害した。
グレーヴェは彼の頭を一度撃ち、その後さらに死体を5発撃った。
遺体は鮮魚店の壁に埋め込まれ、しばらくしてから採掘場で粉砕されている。
グレーウェはまた、2人のFBI捜査官を殺害する計画を立てたことがあったという。
検察当局が2021年に提出した記録によると、グレーヴェは捜査官のうち1人を殺害。
「手術器具」と呼んでいた肉切り包丁で細かく刻んだという。
もちろんグレイウェは殺人罪で逮捕されることとなり、後に政府の証人に転向。
仲間の情報を洗いざらい話して死刑を免れている。