優しいおじさん
優しいおじさん
ドミニク・”スキニー・ドム”・ピッツォニアは、6人の孫を持つ信心深い教会信者であった。
休日には家族で豪華な夕食会を開き、しばしば自分で料理を作ってもいた。
また、彼は勤勉なトラック運転手で、家族のために懸命に働いていた。
そして年配の家族が病気になったときには力強い支柱となったし、若い世代を溺愛する寛大な叔父でもあった。
それから、彼はガンビーノファミリーの幹部であり、冷酷な殺人者でもあった。
男の2面性
1992年のクリスマスイブ。
若い恋人たちが、自分の社交クラブを襲ったという理由で殺害したこともある。
この殺人の首謀者として彼には、15年の判決を下った。
家族、友人、隣人からの推薦状が殺到したが、減刑はなかった。
ちなみに、事件の判決では、担当裁判官が、こんなコメントを残している。
「もし被告の人生がテレビ番組や映画で描かれるとしたら、画面を分割する必要があるだろう。
一方の画面には、礼儀正しく、身なりもよく、礼儀正しく、物腰の柔らかい、隣人思いで、家族に尽くし、友人にも寛大な紳士が映し出されるだろう。
だがもう一方の画面では、犯罪者として映し出される。ノミ屋、高利貸し、恐喝者、冷酷な殺人者の悪質な一団のメンバーとして。
被告の犯罪者としての側面は20年の刑に値する。善良な側にはどれだけの信用があるか?答えはあまりないだ」
ボニーとクライド
クリスマスイブ、ボニーとクライドコンビは、金のためにピッツォニアのソーシャルクラブを襲うことを思いついた。
強奪は上手くいったが、2人の身元はすぐに調べあげられ、ピッツォニアが殺害を指示した。
2007年5月、陪審は、ピッツォニアが実際に殺人を指示したことを認た。
判決の日、いつもはきちんとした身なりのピッツォニアが、囚人服を着て眼鏡をかけて法廷に入ってきた。
また傍聴席には、ソーシャルクラブの店員であろう、派手なプリントのシャツにローファーを履いた白髪の男たちが12人いた。
ピッツォニアの妻バーバラは、二人の息子に挟まれて最前列に座っていた。
最終的に裁判長から懲役15年を言い渡したが、ピッツォニアは無表情だった。
判事は話をする前に、フランク・ボッチャの妹のジョセフィーヌに、ギャングに対する怒りをぶつける機会を与えた。
フランク・”ジーキー”・ボッチャは彼の部下だったが行方不明になっていた。
フランクはピッツォニアに殺されたという説が濃厚だったが、遺体は発見されておらず無罪になっていたからだ。
ちなみに、検察官のジョーイ・リプトンとペイジ・ピーターセンは、ピッツォニアを犯人だとする目撃者を提出したが、陪審員は遺体がなければ有罪にできないと言ったのだった。
「私の家族は、決して心の整理がつくことはないでしょう。
フランキーがこの世を去った残酷で非人道的な方法を、私たちは決して受け入れることができないでしょう。
裁判では、ガンビーノの裏切り者でボッチャの義弟アンソニー・ルジアーノが、ピッツォニアと彼を含む数人の仲間が、一攫千金の約束でボッチャをカフェリバティに誘い出したと言いました。
そこでピッツォニアはボッチャを奥の部屋に呼び、リボルバーを手にして、彼の頭を何度も撃った。
ルジアーノによると、ピッツォニアは途中で弾を入れ直し、「こいつは死にたくないんだ」と笑い、さらに数回撃ったといいます」
目撃者トーマス・モレアは合わせて、ピッツォニアがボッチャの内臓を魚のように取り出した後、大西洋に遺体を捨てるのを手伝った証言した。
この件に関して、ピッツォニアは一言だけ答えた。
「私には、何が起こっていたかわかりません」