マイヤー・ランスキーの素顔
マイヤー・ランスキーの素顔
今回は新作映画「ランスキー」の公開に合わせて、家族が語ったランスキーのエピソードを紹介していきます。
シーゲルの死
マイヤー・ランスキーを語るうえで欠かせないのがラッキー・ルチアーノ、フランク・コステロ、バグジー・シーゲルの三人である。
彼等について現在83歳のランスキーの娘サンドラはこう話した。
「父と彼の仲間は立派な人物でした。
私は若い頃、ニューヨークのコパカバーナでよくたむろしていました。
フランク・コステロのことは“おじさん”と呼ぶくらいよく知っていましたよ。
イタリアのルチアーノもシーゲルも、友人達は皆優しい人でした」
イタリアの、というのは強制送還されイタリアにいたからです。
今回の映画では三人の親友が登場することはもちろん、“バグジー暗殺”を巡るシーンも登場する。
簡単におさらいすると、バグジーは当時砂漠だったラスベガスにフラミンゴというカジノホテルを建設した。
フラミンゴの建設費用はマフィアの仲間達から集めた物だったのだが、バグジーは費用の横領を疑われてしまう。
そしてフラミンゴオープンから6か月後、シーゲルは何者かに射殺され死亡した。
この事件は未だに未解決であるが、コミッション(マフィアの全国会議)の場でバグジーの処刑が決定された際にランスキーは猛反対したと言われている。
この件についてサンドラはこう話した。
「私の父とベニー(バグジー)は子供の頃からの友達でした」
サンドラの息子、ゲイリーもこう語る。
「マイヤーはシーゲルを兄弟のように思っていたんです」
現在66歳のゲイリーもマイアミで祖父のマイヤーの近くで育った人物だ。
マイヤーは常々、教育の重要性を説いていて、よく掛け算の問題を出されたという。
最後にマイヤーの息子の子供であるマイヤーランスキーIIはこう振り返った。
「祖父はこれまでの人生についてあまり話さない人でしたが、よく子供時代は大変だったと話していた。
それに祖父はよく私に意見を通すことの大切さを話してくれました」
果たして映画ではどのようなマイヤー・ランスキー像が描かれるのか、今から楽しみです!