三分で学ぶ サルヴァトーレ・コントルノ
三分で学ぶ サルヴァトーレ・コントルノ
今回は映画「シチリアーノ」でも活躍したサルヴァトーレコントルノを紹介していきます。
彼ほど不器用なマフィアは他にいないと思います。。
コントルノは産まれもった〝本能〟的なものを頼りにマフィア界を生き抜いた人物。
その他の事は無知に等しく、パーセントの概念も知らなかったそう。
だけれど仁義には厚いコントルノの生涯とは。。
サルヴァトーレコントルノの生い立ち
1946年コントルノはシチリア パレルモに誕生。
コントルノは肉屋を営んで生計を立てていたが、1960年代頃からマフィアのステファノ・ボンターデと個人的に交流を持つように。
(ボンターデは映画「シチリアーノ」や「ペッピーノの百歩」にも登場したマフィアのボス )
やがてコントルノはボンターデの殺し屋としてマフィア人生をスタートさせる。
少なくとも1975年には既に肉屋を辞めて、マフィアの一員となっていたと言われています。
やがて信用を得たコントルノは誘拐やタバコの密輸、そしてヘロインの精製と出荷を指揮するように。
しかし、逮捕され1976年から79年まで服役、その後はさらなる捜査を逃れるべくシチリアを離れ、逃亡生活を送った。
コントルノは逃亡先で食肉事業を起こすも失敗、仕方なくシチリアへと舞い戻ることになった。
ヒットマン コントルノ
マフィアとして生活を建て直したコントルノだったが平穏は長くは続かなかった。
1981年4月にコントルノのボス ボンターデが殺害されてしまう。
これは敵対するコルレオーネ村のマフィア サルヴァトーレ・リイナ等の仕業だった。
この時期コルレオーネの一派はマフィア界の派遣を握るべくあらゆるファミリーの切り崩しをはかっていた。
強大な勢力を誇るコルレオーネ派と戦うのは無謀とさえ思えた。
そこでコントルノは仕方なく身を隠すことに。
しかし敵対するサルヴァトーレ・リイナとしてはボンターデの部下を生かしておくのは不安で不安で仕方がなかった。
1981年7月25日、コントルノは車で走行中にヒットマン達から襲撃を受ける。
相手はマシンガンを撃ちまくったがコントルノは天性の危機回避能力で間一髪回避。
敵のヒットマンに撃ち返し、隙を見て逃亡した。
相手のヒットマンはフロントガラスに飛び乗り銃撃したそう
その後、コントルノが完全に地下に潜ると、リイナはコントルノの家族や友人を皆殺しにし始めた。
これはリイナがよく取った手法で、身内を皆殺しにすることで匿う可能性のあるものを排除し、さらに心理的プレッシャーも与えられるのだった。
だが、これは明らかに古き良きマフィアの伝統に反するやり方でした
密告者 コントルノ
コントルノは追手を避けつつも、リイナの犯罪を密告する手紙を警察に送り始めた。
警察はこれにより始めて、コルレオーネ一派がマフィア戦争を引き起こしていると知るのだった。
1982年3月23日コントルノは自らのボス ボンターデの敵を討つべくローマを訪れた。しかしそこで逮捕されてしまう。
コントルノはしばらくの間黙秘を続けた。
警察や政治家にもマフィアの手先がごまんとおり、迂闊に話せば消されてしまうとわかっていたのだ。
そんなコントルノが証人となる決意をしたのは、先に証人となっていたトンマーゾ・ブシェッタとの再開。
ブシェッタは「もう全てを話しても大丈夫なんだよ」と話したという。
コントルノはリイナに復讐するべく、マフィアの全てを明らかにすると約束した。
マフィア大裁判
1986年2月2日より多くのマフィアが起訴された〝マフィア大裁判〟が始まる。
そこでコントルノはブシェッタと共にマフィアの内幕を証言、その中には自分が不利となるような犯罪のエピソードも含まれていた。
コントルノの訛りはかなりキツく、同じシチリア人にも何を言っているかわからなかったので、通訳を呼ばれてしまう。
さらにコントルノはマフィア達と激しく言い争うなどして少々批判を受けた。
とはいえコントルノの証言は貴重なもので、ヘロインの製造、密輸ルート(俗に言うピザコネクション)は甚大な被害を受けることに。
さらにコントルノはリイナ率いるコルレオーネ一派についても激しく非難
「名誉ある男達は、ただのいじめっ子と殺人者の集まり、ただのギャングになってしまっと」と語った。
裁判が終わるとコントルノは減刑され6年服役。
その後は証人保護を受けてアメリカで暮らした。
コントルノの復讐
よくある映画ならここでストーリーは終わりだが、コントルノの物語はそうではなかった。
1988年後半、コントルノは突如、証人保護プログラム下から姿を消してしまう。
コントルノは秘密裏にイタリアへと渡っていたのだ。
目的はコルレオーネ一派への復讐。
しかし、1989年5月26日、いとこと共に隠れ家に居たところを逮捕され、復讐は果たせずに終わった。
隠れ家には大量の武器があったことから計画的な行動と思われる。
さらに到底監視下のコントルノが自力で秘密裏にイタリアへ入れるとは思えないという点から、この復讐劇には協力者がいたと考えられた。
協力を疑われた一人はイタリア警察検査官ジャンニ・デ・ジェンナーロ。
彼は大きな動きを取らなくなったマフィア達を刺激する為、さらにはコルレオーネ一派を血祭りにあげるべくコントルノを呼び寄せたと言われている。
逮捕後、コントルノはマフィア界に復帰し1994年4月には再び復讐を計画していることを密告され逮捕、隠れ家からは爆弾が発見された。
その逮捕をきっかけにコントルノが麻薬密売ビジネスに復帰していた事が発覚し
1997年10月に再逮捕。
さらには2004年11月にも恐喝の疑いで逮捕されている。