三分で学ぶ ジョー・アイエロ
三分で学ぶ ジョー・アイエロ
今回はシカゴの大物マフィア ジョー・アイエロを紹介していきます。
アイエロは主にアルカポネ関連映画によく登場していて、作品によってカポネの親友だったり敵だったりします。
実際のアイエロはどのような人物だったのでしょうか?
ジョー・アイエロの生い立ち
ジュゼッペ・アイエロは1890年9月27日にシチリア島の貧しい家庭に産まれ、17歳の時にアメリカ ニューヨークへ移住。
ここまでは最早テンプレートですねw
アイエロは父親を頼りシカゴへ。
その後はニューヨークとシカゴを拠点にオリーブオイルや砂糖の輸入会社を立ち上げた。
アルカポネとアイエロ
やがてアイエロはアントニオ・ロンバルドというシチリア人と共同でチーズの輸入会社を立ち上げる。
このロンバルドはアルカポネの盟友でこの会社〝アントニオロンバルド&カンパニー〟の資金はカポネが二人に貸したものだった。
砂糖は密造酒の製造に必要で、カポネはこの会社を砂糖の供給先にしようと考えていのだ。
三分で学ぶアルカポネで解説したように、禁酒法時代のシカゴは密造酒天国で買いたがるギャングはごまんといた。
やがてアイエロはカポネ以外のギャング、ジェンナ兄弟にも砂糖を卸し始め、巨万の富を築く。
さらにジェンナ兄弟が殺害されると、その縄張りを手に入れシカゴギャング界の中でも大物に。
三階立ての豪邸を手に入れ、アイエロは遂に成功者の仲間入りを果たしたのだった。。
ロンバルドとアイエロの確執
1925年11月、ロンバルドはシチリア人同盟の長に任命された。
シチリア人同盟は表向きは全国に広がるシチリア人の互助団体に過ぎないが、実態はギャング組織。
支部の長にはその地域の実力者が選ばれるしきたりだった。
内心、シチリア人同盟の長に選ばれると思っていたアイエロは面白くない。
さらにロンバルドを長にするようアルカポネが圧力をかけた事を知ったアイエロは激怒した。
アイエロはロンバルドとカポネとのビジネスの全てから手を引き、両者の打倒を誓った。。
ちなみにアルカポネはシチリア人ではないので、自分の息のかかった人物を推薦する事しか出来ませんでした。
ギャング戦争
前述の事件をきっかけにアイエロは、カポネを中心に結ばれた〝シカゴ平和協定〟を破る事を決意。
こうしてシカゴに再び嵐が吹き荒れることに。
まずアイエロはカポネと争ってはいないものの、仲の良くないギャング達と同盟を結ぼうとした。
その中の一つは、ダイオン・オバニオンが率いていた〝ノースサイドギャング〟。
アイエロは現リーダーのバグズ・モランと同盟を結ぶ事に成功した。
カポネもこれに黙っていた訳ではなく、方々に〝アイエロと付き合わない〟ように申し付けた。
カポネvsアイエロ
1927年の始め頃、アイエロはカポネの行きつけのレストランのシェフを買収。
ロンバルドとカポネの二人に振る舞う粉チーズに青酸を混ぜるよう依頼した。
しかし、シェフが寝返り作戦は失敗。
報復としてカポネはアイエロの経営する店に部下を送り、建物を蜂の巣にした。
続いて1927年5月28日にはアイエロが経営するパン屋が蜂の巣に。
この際にはアイエロの兄が負傷している。
この報復として、アイエロはカポネに五万ドルの懸賞金を掛け、さらに次々とヒットマンを雇った。
だがヒットマンはことごとく返り討ちに。
これはカポネの部下 フランク・ニッティが〝誰がアイエロに雇われたか〟を瞬時に掴み、殺害していたからだという。
やがてニッティはアイエロの情報も掴みヒットマンを送り込んだが、アイエロはなんとか切り抜けた。
1927年11月、さらにさらに報復としてアイエロはカポネとロンバルドの行きつけの葉巻屋を突き止め、ヒットマンに待ち伏せさせる。
二人が現れたらすぐさま蜂の巣にするつもりだった。
しかしこの計画は警察に漏れ、ヒットマン達は逮捕。さらに一人がアイエロの指示だったと自白しアイエロも逮捕されてしまう。
これを絶好のチャンスとみたカポネは警察署の前に20人のヒットマンを配置し、アイエロが釈放された瞬間に殺害しようとした。
現場はアイエロ殺害の瞬間をカメラに納めようとするマスコミとヒットマンが入り乱れるカオスな状況に。
この時銃を所持していたカポネ側のヒットマンが逮捕されアイエロと隣の房に入れられた。
ヒットマンはアイエロに「お前はもう死んだも同然だ」と宣告。
アイエロは命乞いを行い「助けてくれるなら全ての利権をカポネに譲る」と申し出た。
しかしヒットマンはアイエロの要求を一笑に付した。
果たしてアイエロの運命は。。
part2へ続きます。