三分で学ぶ フランク・ルーカス
三分で学ぶマフィア暗黒史 フランク・ルーカス
目次
今回は伝説の黒人ギャング フランク・ルーカスを紹介していきます!
フランクルーカスの生い立ち
1930年9月9日、フランク・ルーカスはノースカロライナ州に誕生。
1936年、6歳のある日、KKK(クークラックスクラウン)が家に現れ12歳のいとこに「白人女性を見ただろ」と罪状を言い渡した。
いとこは抵抗する事も出来ず木に縛りつけられ、散々殴られてから射殺された。
フランクは後にこれがギャングになったきっかけであると振り返っている。
段々とギャングの道を歩み始めたフランクは、実の父親を鉄パイプで殴り殺害。
さらに働いていた会社の金を盗み放火。
当然、追われる身となったフランクは逮捕を逃れるためにニューヨークのハーレムへと身を隠す事にした。
バンピー・ジョンソンとの出会い
フランクがハーレムにやってきたのは16歳の時。
初めての大都会に同様しつつも、フランクは自分の力で金を稼ぐと決心。
宝石強盗やギャンブルで大いに稼いだ。
そんなある日、賭けの為にビリヤード場に来たフランクはマフィアお抱えの殺し屋 アイスピック・レッドと一触即発の自体にも陥ってしまう。
フランクも銃を持っていたが、まだ子供。
相手は50人以上を殺した腕利きの殺し屋。
どうなってもおかしくなかった。
そんな時、店の奥からバンピー・ジョンソンが現れた。
この時についてフランクはこう振り替える。
「何もかもが動きを止めた。あんまり静かで、中国で脱脂綿にネズミがしょんべんする音さえ聞こえそうだった」
バンピーはフランクとアイスピック・レッドをビリヤードで対決させ、結局フランクが圧勝。
この時からフランクはバンピーのお気に入りとなった。
バンピーはフランクを連れて買い物に行き、高級スーツを買い与え、それから自宅に連れ帰り夕食を共にした。
それからフランクはバンピーの自宅に住み込み、運転手として働くことに。
フランクは日々、近くでバンピーを見て、話を聞き、多くの事を学んで行く。
フランクはバンピーについてこう語っている。
「バンピーは紳士の中の紳士、王の中の王、殺人者の中の殺人者、彼自身が一冊の本であり、聖書だった」
「商売のやり方を教えてくれたのが彼だ。
どうやって集金するか、みかじめ料はどうやって計算するか、あの頃マンハッタンの110丁目より北じゃ、店も会社も地主もみんなバンピーに金を払ってた。 バンピー払うかさもなきゃ死ぬか。
それが黄金律だった。あんたらは恐喝って呼ぶかもしれないがみんな払ってた。
父ちゃん母ちゃんだけでやってるみたいな店以外は。
バンピーはそういう奴らからは絶対取らなかったよ」
バンピーはよくフランク・コステロと朝食を共にしビジネスの相談をしていた。
そんな訳で、自然とフランクもイタリアマフィアとの関わり方や暗黒街のルールについても精通していった。。
バンピーの死後
五年後、バンピーが亡くなるとフランクは自ら帝国を築こうと決めた。
バンピーが居なくなって以来、軽んじられるようになったフランクは、イカれた殺し屋タンゴと敢えてトラブルを起こし、公衆の面前で射殺。
以来、フランク自身も恐れられるようになった。
それからフランクは〝ドナルドトランプのような金持ち〟になるために策を練った。
フランクルーカスの発想方法
フランクはドナルドトランプのような金持ちになるための策をどう練ったかも明かしています。
まず一人で一週間ほど部屋にこもる。
誰にも会わないし、出掛けもしない。
そこで過去に起こった様々な事を振り替える。どんな些細なことも。
それから自分の行く先を邪魔するモノはゴキブリのチ◯ポに生えている一番短い毛すらないと自分で決める。
そうしたらやっとこれからの事がー。
あらゆる道の先の先までも見通すことができる。
ブルーマジック
まずフランクはいとこの一人と結婚した元米陸軍軍曹のレスラー・アトキンソンと会う為にタイへと飛んだ。
そしてフランクはアヘンの生産地域 ゴールデントライアングルへ向かい、契約を結んだ。
それからはレスラーに現地での仕事を任せ、定期的にゴールデントライアングルからアメリカのフランクへと純度の高いヘロインが届くように。
中間業者を省いたので、安く高品質な品物を手に入れられるようになったのだ。
ちなみにヘロインの密輸方法は、「兵士の棺に入れた」と広く知られておりフランクも認めているが、「電化製品に入れていた」など諸説ある。
フランクの品物は〝ブルーマジック〟というブランドで販売され、行列が出来るほど人気となった。
億万長者となったフランクはアメリカ全土で不動産を購入、広大な牧場も所有した。
しかし、派手な身なりはせずにあくまでも〝ビジネスマン〟らしい服装を好み、派手な振る舞いも嫌った。
田舎からいとこ達を呼び寄せ、信頼出来る身内で回りを固め、万全の態勢でブルーマジックをさばき続けた。
フランクルーカス逮捕
1975年1月、ニュージャージー州にあるフランクの自宅はDEA、組織犯罪管理局、ニューヨーク警察の機動部隊に踏み込まれた。
警察は自宅から現金584,683ドルを発見。
フランクは麻薬密売などの罪で懲役70年の判決を受けてしまう。
その後フランクは情報提供者となり多くの麻薬密売業者について証言。
1977年にはフランクと妻や家族は承認保護プログラムに加入した。
1981年フランクは仮釈放に。
しかし1984年、少量の麻薬取引で再逮捕、服役。
1991年に釈放された。
その後はアパート暮らしで貧しい生活を続けていたが、ご存知の通り映画「アメリカンギャングスター」が大ヒット作となり、フランクは再び〝ハーレムの帝王〟として世に知られるように。
映画の原作となった小説の著者と話した際にも情報提供者となった件についてだけは、頑なに話したがらなかったという。
ちなみに妻とは逮捕後、別居を経て離婚。
妻も2010年5月に麻薬密売で逮捕されている。(この密売はフランクとは関連なし)
時の人となったフランクはその後、2019年5月30日に88歳で亡くなった。