三分で学ぶ アルカポネ 刑務所と梅毒編

三分で学ぶマフィア暗黒史 アルカポネ編part4

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三分で学ぶアルカポネpart4です。

初期に描いたものなので、加筆しました。

三分で学ぶアルカポネpart3はこちらへ

最初からご覧の場合はpart1へ

カポネ刑務所へ

逮捕されたカポネは〝陪審員の買収〟〝関係者の殺害〟などあらゆる手を尽くした。

陪審員達

裁判で検察側は、カポネの収入ではなく〝カポネの出費〟から脱税を証明しようと贅沢な暮らしぶりをアピールした。

特に話題となったのは友人30人に配ったベルトのバックル。

これは当時としては破格の一つ13,000ドルで購入されたものだった。

証拠となった友人に配ったダイヤのベルト

バックルの他にもシルクのパンティやオーダーメイドのスーツなど、カポネの私生活が赤裸々に語られたという。

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カポネはパンティの話を暴露されると恥ずかしがっていたとか

一方、カポネ側はお金は競馬で当たった物である、しかも競馬では稼いだよりも多くの大金を失ったと主張。

裁判でのアルカポネ
裁判でのアルカポネ2

この攻防でカポネは次第に不利になっていった。

しかし、判決の日になってもカポネにはまだ余裕があった。

カポネは刑務所に入ってもVIP待遇を受けられるだろうし、三年もすれば出てこられると思っていたからだ。

しかし、カポネに下された判決は、、11年。

カポネは顔面蒼白となり、肩を落とした。

フラフラと立ち上がり、裁判所から出ようとエレベーターに向かうカポネ。

すると、エレベーターの中に見慣れた顔があった。

部下のデ・アンジェロ、もとい捜査官のマイク・マローンである。

彼についてはこちらも↓↓

カポネはアンジェロが捜査官にこう語りかけた。

「君の顔つきに、私は騙された。

君は君の運に賭け、私は私の運に賭けた」

マローンはこれを黙って聞いていた。

そしてエレベーターを降りてから、2人が会うことは二度となかった。

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奇跡的にこの瞬間は写真に収められていました。

右後ろにいるのがマイクマローン

カポネはその日の内に、郡刑務所へ入れられることが決定。
これは服役ではなく勾留期間。逃亡を防ぐための措置である。

判決を聞いた直後のアル・カポネ
アルカポネを一目見ようと集まった人々

クック郡刑務所

クック郡刑務所でカポネは職員を買収し、10人用の大部屋にボディーガードと2人で収監された。

このボディーガードの名前はダンドレア。

脱税裁判の際に裁判所へ銃を持って入った罪で六ヶ月の刑に服していた。

タンドレア
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映画「アンタッチャブル」ではフランク・ニッティが銃を持っていた事になっていました。

この写真で後ろを走っているのもタンドレア

勾留中でもカポネは帝王だった。

料理は妻の手料理、ベッドは最高級品、面会も自由。

さらには愛人や売春婦を呼ぶこともできたし、コカインもやり放題だった。

だがカポネは1日中遊んで過ごしていたワケではない。

再審を請求したり、マスコミに訴えかけたりとあらゆる手段で服役を逃れようとしていたのだ。

群刑務所でのカポネ

だが、クック郡刑務所へ来て7か月後、シカゴから遠く離れたアトランタ刑務所へ送られる事が決まってしまう。

移送当日、カポネは所長の計らいで家族と面会し別れを告げた。

長い旅の始まりである。

丸部分が収監されていた部屋

アトランタ行きの列車までは、カポネの部下が彼を奪還しに現れる事が懸念された。

そこでエリオット・ネスとアンタッチャブルが護衛を勤めることに。

エリオット・ネスがアル・カポネを見たのはこれが最後だった。

エリオットネス
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アトランタ収監までにカポネは組織をフランク・ニッティに託したと言われています。

列車でのアルカポネ

アトランタ刑務所

列車を降りるアルカポネ

アトランタは劣悪な環境で知られており、カポネの顔馴染みは一人もいなかった。

「うっ、、家に帰りたい。。」

ホームシックになり涙を流すカポネ。

この情緒不安定ぶりを不思議に思った刑務官がっ検査を受けさせると、カポネは梅毒にかかっていると判明した。

梅毒とは性病の一種で、末期になると精神が不安定になったり、痴ほうになったりする。

そしてカポネは、やはり末期の梅毒だった。

彼は10代の頃、売春婦を買った時に梅毒を移されたといわれている。

収監中のアルカポネ

アトランタでカポネはパープル・ギャングの泥棒 レッド・ルデンスキーと同房となった。

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パープル・ギャングはデトロイトのギャング団で、カポネの組織やマイヤー・ランスキーと繋がっていました。

カポネは梅毒の影響とコカインの禁断症状に苦しみ、毎日ルデンスキーに泣き言うように。

そんな様子を見た他の囚人はカポネをいじめたが、ルデンスキーは慰めてやり、いじめる囚人に脅しをかけてやった。

ルデンスキーのおかげでいくらか落ち着いたカポネは、1日八時間、真面目に工場で働く。

だがルデンスキーも梅毒からカポネを守ることは出来ない。

アトランタ刑務所に入って以来、カポネの梅毒は急速に悪化。

一カ月後には、文字も書けない状態になっていたようである。

それでも暗黒街の帝王は死んではいなかった。

症状の落ち着いた時には、出所後の計画を建てたり、弁護士を使い減刑を求めたりしていた。

一方シカゴには、刑期を終えたカポネの仲間達が続々と帰ってきていた。

カポネが不在となった今、フランク・ニッティやグージックが組織をまとめていくこととなる。

ちなみにバグズ・モランは未だに細々と酒密売業を行っていたが、禁酒法撤廃により失業していた。

カポネの刑務所暮らし

話を戻すと、徐々にカポネはアトランタ刑務所に適応しつつあった。

だが服役して2年がたつ頃、カポネはアルカトラズ刑務所行きを宣告される。

衝撃を受けたカポネは、取り乱し大暴れしたが、アルカトラズ行きを回避できはしなかった。

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カポネのアルカトラズ収監は、アルカトラズの宣伝目的だったとも言われています。

拷問の島 アルカトラズとカポネ

アルカトラズ刑務所は絶海の孤島に放置された軍の刑務所を再利用した施設。

「最も凶悪な囚人を収用する施設」として考案された。

カポネが服役したアルカトラズ刑務所

一般的な刑務所との違いとしては、〝私語厳禁〟〝各々独房に入れられる〟などがあり、
もし反抗的な囚人がいた場合は、真っ暗闇の懲罰房に何日も入れられ、食事もまともに与えらなかった。

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そんなアルカトラズは「アメリカの拷問室」と呼ばれていました。

1934年、入所したカポネは日々、洗い物や物を運ぶなど単調な作業をして過ごすことに。

作業の様子

だが名の知れているカポネは再びいじめの対象となり、どつかれたりもしたし、殴り返して独房へ1日送られたりもした。

だがカポネはまだ、挫けない。

毎日所長に面会し、囚人に金を貸す許可を求めてみたり、自分は可哀想な人間なんだと情に訴えてみたりした。

どちらも刑務所での待遇を改善するための策である。

しかし残念ながらアルカトラズでは通用しなかった。

そんなある日、カポネはもう一つ、挫折を経験する。

刑務所内の野球チームに参加した彼は、「使えない」「とろくさい」とののしられ、ベンチに座る事しか出来なかったのだ。

そこでカポネは野球を諦め、その代わりに所長を説得し楽団を結成。

この楽団には〝マシンガン・ケリー〟も参加していた。

マシンガンケリー
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ケリーはデリンジャーと

並び、有名な強盗として知られていました。

楽しくやっていたカポネだが、ある時、楽団の仲間と殴り合いの喧嘩をしてしまう。

それがきっかけでハブられたカポネは、一人で歌ったりして過ごすようになった。

仲間外れにされるきっかけとなった喧嘩は、カポネが突如キレた為におこった。

カポネは梅毒の影響でかなり精神的に不安定となっていのだ。

落ち込むカポネをさらなる災難が襲う。

ある日、カポネはストライキに参加してほしいと頼まれた。

しかし、ストライキに参加すれば刑期が伸びる可能性がある。

カポネは参加を丁重に辞退した、、

がそのせいで囚人から恨みをかい背中を数ヶ所刺されてしまう。

刺した犯人は90日、独房へ入れられ狂人となった。

そんなアルカトラズでの辛い日々をカポネは耐え続けた。

その励みになったのは妻から届いた手紙のこんな一文だった。

「あきらめずに、歯をくいしばり、いつも笑顔で」

妻はたまに面会にもやってきたが、面会室では僅かな壁の穴からしか顔を見ることしか出来なかったという。

面会に来たメエカポネ
メエカポネ

その上、カポネは梅毒の影響で痴呆が進み人を識別出来なくなりつつもあったようだ。

カポネと梅毒

アルカトラズでの生活が4年を越えた頃、カポネの体調は急激に悪化。

意味不明な事をいったり、正気を失ったりといった行動が目立ち始め、アルカトラズ内で治療を受けることに。

それでもカポネの梅毒の進行は止まらず、頻繁に便を漏らしたり、暴れたり、失神した。

その一方、ふと正気に戻るといたって健康そうにみえる。

その繰り返しの結果、カポネはアルカトラズの精神病棟へ移され、檻のような独房に入れられた。

ある日、看守はカポネが隣の房の囚人と糞を投げ合って、糞まみれになっているのを目撃。

果敢に便器からすくった糞を投げるカポネを見て、看守はカポネが壊れている事を悟った。

この事件がきっかけで、カポネはもはやアルカトラズの環境には耐えられないと判断される。

残りの刑期を治療環境の整った矯正施設で過ごすこととなった。

カポネ、シャバへ戻る

1939年、八年十ヶ月ぶりに、カポネはシャバへ戻ることに。

久々に見るアル・カポネの姿に家族達は驚いた。

鬱々としており、妄想と現実の区別が時折つかなくなり、何よりも服役中の記憶は大部分が失われていたのだ。

晩年のアルカポネ

出所したカポネはその足で病院へ向かい入院。

名医による最新の治療が行われ、なんとか退院出来る程度まで回復した。

釣りをするアルカポネ

家族とフロリダの別荘へ移住したカポネは、ボディーガードに守られつつも、組織から金銭的な援助を受けて穏やかな生活を送る。

する事といえば日光浴に散歩、釣りくらい。

全盛期の29年から30年にかけては、カポネの伝記本が多数出版され、飛ぶように売れたし、映画のモデルにもなった。

しかし、今やカポネは世間から既に死んでいると思われ、すっかり過去の人となっていた。

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ですが、この間もFBIはカポネを監視していました。

やがて数年の治療を経て、カポネはお洒落をして外出出来る程に回復。

だが梅毒を完治させる事は不可能だった。

1946年、47才のカポネは医師から「12才程度の精神年齢」と診断を受けてしまう。

そして翌年、48才の誕生日パーティーを終えた後、カポネは倒れ意識不明に。

7日後、家族に看取られて亡くなった。

アルカポネの墓

カポネの葬式には家族とジャック・グージック等仲間達、その他カポネを慕う人たち350人あまりが訪れ彼を偲んだ。

しかしカポネの母親と妻は、ショックから式に参加できなかったという。

最期を共に過ごした家族 右からソニー、メエ、カポネ、ソニーの妻

怪物 アル・カポネ

カポネは生前こんな事を記者に漏らしていた。

「私をまともに扱ってくれ。
私は天使じゃない。
若者の手本でもない。
意にそぐわなくても仕方なくやってきたことがある。
だが、言われているような悪人じゃない。 私も人間だ、心があるんだよ。
困っている人がいればとことん助けてやる。その点は誰にも負けない 」

カポネは死後も〝凶悪で無敵の怪物〟として映画や小説の中で活躍し続けている。

だが実際には1人の人間に過ぎなかったのだ。

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