三分で学ぶラッキー・ルチアーノpart5

三分で学ぶラッキー・ルチアーノpart5

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マフィアグッズ専門店
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シュルツの最期

ダッチ・シュルツ

狭まる包囲網に困り果てたダッチ・シュルツはルチアーノに助けを求めた。

ルチアーノはアルバート・アナスタシアにシュルツを匿えと伝えた。

しかしそれを見抜いたデューイは方々に圧力をかけ始める。

これによりコステロのスロットマシンは300台が押収され叩き壊された。

1935年になるとデューイがシュルツの殺しの証拠を掴んだという噂が広がり始めた。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

我々は心配になった。
もしシュルツが捕まれば、罪を逃れるために何もかも話すのではないかと

そこでルチアーノはランスキー、コステロ、アドニス、トーリオ等と共にこの問題を話し合うことに。

その中でアナスタシアがシュルツから“デューイ暗殺”を依頼されていたことが明らかとなった。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

我々はメンバー以外を殺さないと決めていた。
万が一殺すならコミッションの多数決で決める。それも満場一致でなくてはならない。
それにデューイを殺れば取り返しのつかない騒ぎになると思った

間もなくコミッションが召集された。

ランスキーが進行を勤め、長時間の話し合いが行われた。

そして一つの結論に至った。

“シュルツには死んでもらうしかない”

1935年10月23日、なじみのレストランで楽しい夜を過ごしていたシュルツはトイレに立った。

ちょうどその時、殺し屋が店内に乱入し部下達を蜂の巣にした。

それからトイレに入ってきて小便中のシュルツに弾丸を撃ち込んだ。

シュルツはフラフラとテーブルに戻り、その場に突っ伏した。

撃たれたダッチ・シュルツ

しかし死んではいなかった。

三日三晩、シュルツは生きておりうわ言を呟いていた。

時おり意識が戻ることもあったが、警察に犯人の正体を話すことはなかった。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

私はシュルツ暗殺を命じたのは、人生最大の失敗だったと思っている

シュルツが死んだことでデューイが大人しくなると踏んだルチアーノだったが実際はそうはならなかった。

デューイはシュルツの変わりにラッキー・ルチアーノを起訴することにに決めたのだった。

濡れ衣

デューイはルチアーノの捜査を始めてそうそうに暗礁に乗り上げた。

ルチアーノはあらゆる面で用心深く、一切の証拠を残していなかったのだ。

この用心深さはひとえに子供時代の苦い経験から来るものだった。

トーマス・デューイ

しかし突如、事態が動き始める。

次席検事補のユニス・カーターはある時、売春を斡旋している組織の存在に気がついた。

報告を受けたデューイはカーターを利用することを思い付く。

1936年2月1日、デューイは警察を総動員しニューヨークの売春宿を片っ端から摘発した。

捉えられたオーナーと売春婦は100人以上にのぼり、デューイは全員に厳しい取り調べを始めた。

この知らせを聞いたルチアーノは嫌な予感を感じた。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

いい旅行の機会だとも思った。
どうってことないとは思ったが、奴らの思い通りにさせるのもシャクだったしね。
私は荷物を持たず、歯ブラシさえ持たずに車に乗り込んだ

まずルチアーノはフィラデルフィアに行きニッグ・ローゼンを尋ねた。

そこでルチアーノはニューヨークの仲間から“指名手配された”との情報を知らされる。

ルチアーノはそのまま列車に飛び乗りホットスプリングスを目指すことにした。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

そこで温泉に浸かってゆっくり休んだよ

ホットスプリングスはオウニー・マドュンの縄張りで安全は保証されていた。

痺れを切らしたデューイはルチアーノを“公共の敵No.1”に指名し、全国各地に捜索の範囲を広めた。

ルチアーノvsデューイ

ブロンクスの刑事ジョン・ブレナンは偶然、無関係の事件を追ってホットスプリングスに出向いていた。

そこでブレナンが目にしたのは散歩をするルチアーノだった。

ブレナンはルチアーノを呼び止め、一緒にニューヨークに戻ろうと呼び掛けた。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

私はホットスプリングスを満喫していた。
ゲイ・オルロヴァもいたし天気もよかった。つまり帰る気はなかった。

ニューヨーク警察は現地の警察に協力を要請し、ルチアーノは地元の裁判所に連行されたが保釈金を払いすぐに自由の身となった。

デューイは怒り狂いホットスプリングスの判事を執拗に非難。

その結果ルチアーノは再び拘束され、独房に入れられてしまった。

マドュンは腕利きの弁護士をルチアーノの元へ派遣し、弁護士はルチアーノと共同で声明文を発表した。

“私は道徳心があるとは思っていないし、高潔な人間でもない、

しかし、売春などというふしだらな事に関わったこともない”

だが正式にルチアーノが起訴されるとこれ以上、打つ手はなくなった。

ルチアーノは保釈金35万ドルを支払い、渋々ニューヨークへと帰宅した。

帰宅して間もなく、ルチアーノの部屋にランスキー、コステロ、アナスタシア、トーリオ、バグジー、ルッケーゼ、それから弁護士が集まった。

皆ルチアーノの釈放を喜んでいたが、弁護士は深刻そうな顔でルチアーノを見ていた。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

彼は事態は深刻だと言った。
私は、戦う覚悟は出来ている、金はいくらでも出すから最高の弁護を頼みたいと伝えた

弁護士が去ったあとアナスタシアが言った。

「やはりシュルツよりデューイを殺すべきだったんだ」

これには全員が同意した。

ルチアーノもこれは認めつつも、ルールを破る気はないと付け加えた。

1936年5月13日“ニューヨーク州対チャールズ・ルカーニア”の裁判が始まった。

デューイは被告人席のルチアーノを指してこう説明した。

「ルチアーノはニューヨークに200以上の売春宿を持ち、3000人以上の売春婦からピンはねを行っている。

売春ビジネスは企業さながらに組織化されており、そのトップがルチアーノである」

その後法廷には68人の売春婦が召喚された。

全ての証言が終わるまでには3週間を有したが、彼女達の口からルチアーノの名前が出ることはなかった。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

私は不思議の国に迷い混んだようだった。
彼女達を誰一人知らなかったし、彼女達も私を知らなかった

デューイもそれは承知であり、これはマスコミ向けのパフォーマンスだったのだ。

しかし売春婦の次に現れた証人は重要人物だった。

ルチアーノと同時に起訴された売春宿の管理人 ピーター・ハリスは有罪を認めこう証言した。

『私はルチアーノの名前を口にしてはいけないと命じられていた。

あるとき宿に強盗が押し入り、奴はドライブに連れ出された。

その時殺し屋の男が“ここはラッキー・ルチアーノのシマなんだぞ”と言うのを聞きました』

次に証言を行ったのは同じく起訴され有罪を認めたジョー・ペンディックス。

彼はこう証言した。

『私は売春ビジネスを始めるに当たり、三度ルチアーノと相談を行いました』

ルチアーノに言わせれば、毎晩何人もの男がビジネスの相談に訪れていたので、その全てに責任を持つなど不可能なことであった。

デューイは最後にとっておりの二人の証人を用意していた。

一人は売春婦のフローレンス・ブラウンである。

『私はルチアーノの会議に何度も出席しました。彼は売春をチェーン展開する、デューイはめんどうだな、などと話していました。

ルチアーノは売春婦達を休みなく働かせ、言うことをきかないと拷問したり麻薬浸けにするのです』

デューイは勝ち誇った顔でルチアーノを見た。

ルチアーノには正に寝耳に水であった。

二人目の証人は売春婦のナンシー・プレッサー。

『私はまだ十代の頃、マッセリアからルチアーノを紹介されました。

三年後、偶然、再開したルチアーノは私を気に入ったようでした。

私の売春宿に電話がきて、ルチアーノの自宅に招かれました。

私は大きなベッドで寝て、ルチアーノはソファーで寝たの。

なぜかって? ほら、彼はあれが役立たずだから。。

そんな夜は何度もあったわ、必ず彼はおしゃべりだけして満足するの』

ルチアーノは怒り心頭で彼女を睨んだ。

これは最大の侮辱だった。

事実からそう遠くない事だったからだ。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

私は頭をバッドで殴られたような衝撃を受けた。
五万回は男と寝たであろう汚ならしい売春婦が、私はインポだと侮辱したのだ。
これはには本当に腹が立った

しかし、反対尋問でナンシーはルチアーノの部屋の間取りなどを一切、証言できなかったため、ルチアーノの名誉はギリギリ守られた。

この失敗を取り戻すべく、デューイはルチアーノが住むマンションの管理人を召喚し、ルチアーノを尋ねてくる男を見たことがあるか質問した。

しかし管理人はルチアーノは紳士で、誰も尋ねてこなかったと証言。

これに満足したルチアーノはマスコミに無罪を確信していると満面の笑みで話した。

直接対決

6月3日、弁護側の証人としてルチアーノが登場した。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

私は売春には関連がなく、証人達の事はしらないと話した。
 それからデューイが私に反対尋問を行うために近づいてきた。
私が人生で一番怖かった瞬間だ。奴は獣のような顔で私を見据えた

デューイはまずルチアーノの逮捕歴について確認した。

これは否定のしようがなかった。

それからデューイは、バグジー、マッセリア、カポネ、チロ・テラノヴァは知り合いかと尋ねた。

ルチアーノはカポネとテラノヴァは知らないなと答えた。

するとデューイは書類を取り出し、ルチアーノ宅からその二人に電話をかけた履歴が残っているぞと言った。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

私はたじろいだ、ミスをしたのだ。
もうチャンスはないと感じていた

その後デューイは日没まで四時間もルチアーノに尋問を行い、徹底的にやり込めたのだった。

決着

ゲイ・オルロヴァ

その日の夜、ルチアーノはなんとか夕食を流し込み部屋で項垂れていた。

するとゲイ・オルロヴァが尋ねてきた。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

彼女は部屋にはいると泣き出した。心が傷んだ、
結婚したいとも思ったがこれから服役する男がプロポーズなどできるだろうか。
私はそんな気にはなれなかったが、彼女は私を慰めてくれた。
私達は最高の夜を過ごした

1936年10月6日、ルチアーノには有罪判決が下り30年から50年の不定期刑が言い渡された。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

終身刑も同然だった。50年もすればじいさんだ

ルチアーノはすぐに拘束され、ダンネモーラ刑務所へと送られた。

ダンネモーラ刑務所は冬には壁が凍りつくほどの過酷な環境であることからシベリアとあだ名されていた。

ルチアーノは至って冷静に振る舞ったが、内心は怒りと無力感に満ちていた。

シベリア

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

私がこれほど無力になったのはこれが始めてだった

一応、ルチアーノは刑務所内でも特別な待遇を受け、回りの囚人からは持て囃された。

それを踏まえても刑務所生活はあまりに過酷なものだった。

ダンネモーラは“異常者の精神病棟”とも呼ばれており、環境といえばシャワーはお湯が出ず、トイレには紙がないことも多かった。

そんな中、ルチアーノは夜の自由時間のほとんどを読書と文字の勉強に費やすことに、昼はというと面会に忙しかった。

ルチアーノは自分の不在の間、財政面をランスキーに、個人的な資産とファミリーをコステロに任せ、連絡役にはアドニス指名した。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

私はそれでも外の世界との繋がりを絶たれたことが苦痛で仕方がなかった

やがてランスキーが面会に現れなくなった。

無二の親友とはいえ刑務所に入り孤独感を強めていたルチアーノは“まさかランスキーが裏切るのでは”と疑心暗鬼になってしまう。

ランスキーが現れなくなり二ヶ月が過ぎた頃、ルチアーノはアドニスに事情をきいた。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

ランスキーはハバナに行っているとのことだった。
その後ランスキーは私を尋ねてきてハバナがうまく行っていることを教えてくれた

フルヘンシオ・バティスタが大統領になり、いよいよハバナが手に入るというのだ。

ポラコフの奮闘

ルチアーノの弁護士 モーゼス・ポラコフはまだ望みを捨てていなかった。

何よりまだルチアーノから給料をもらい続けていた。

ポラコフは上訴に当たり、証言した売春婦を見つけて証言を撤回させるしかないと踏んでいた。

しかしいくら探しても売春婦達は見つからない。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

私はポラコフに100人探偵を雇ってでも探し出せと命じた

1938年、ポラコフはデューイのオフィス宛に証言した売春婦達から手紙が届いていることを発見。

すぐに差出人住所となっていたパリへと飛んだ。

売春婦達は強制的にヨーロッパへ逃亡させられ不満をもっていた。

そのため容易に真実を話してくれた。

『私達はデューイに嘘の証言をしないと、刑務所送りにすると脅されたの』

さらにはジョー・ペンディックスもルチアーノに手紙を書き、デューイに脅されていたと告白した。

ポラコフとルチアーノは無罪を確信し、上訴。

しかし裁判所は一切の新たな証拠を否定し、棄却した。

つまりルチアーノは刑期をまっとうするしかなくなったのだ。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

棄却を知らされた時、まったく意味がわからなかった。
虚偽の証言だと認めたのに上訴できないとは?
目の前がまっくらになり、突然失明する時はこんな感じなのかな、などと考えた。
私は一生ここで暮らすしかないのだと思った

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