三分で学ぶラッキー・ルチアーノpart4

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マフィアグッズ専門店
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前回はこちらかどうぞ

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ボスの中のボス

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

マランツァーノは全てを手に入れた。
そしてマッセリアの死から少し立った頃、彼は就任式を計画し始めた

マランツァーノは全米のマフィアに招待状、もとい召喚状を送りブロンクスに呼びつけた。

当日、会場は薄暗くライトアップされ各々の席札がついた丸テーブルが並んでいた。

集まったマフィアの主要人物500名はテーブルからステージ上に置かれた玉座に座るマランツァーノを見上げていた。

この玉座は劇団からわざわざレンタルしてきたもので、ルチアーノはなんと下らんことを、と思ったという。

玉座の左右には腹心の席があり、ルチアーノはマランツァーノの右隣に座っていた。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

壁には十字架や聖母マリアがところ狭しと飾られていた。
マランツァーノは牧師を志していたこともり信心深く、常にいくつも十字架を持ち歩いていたな

マランツァーノは集まったマフィアにイタリア語でスピーチを行った。

その姿はまさしく牧師様のようであった。

『新しい時代がやってきた。

全国の犯罪組織は私の統治の元一つの、ローマ帝国のような軍隊となるのだ。

ニューヨークには五つのファミリーをつくることにした。

そのファミリーを指揮するのは、私の横に並ぶ忠実な家臣たちである。』

これがニューヨーク五大ファミリー誕生の瞬間であった。

ファミリーの内訳は以下の通り。

・旧マッセリア勢力を率いるラッキー・ルチアーノ

・旧レイナの勢力を率いるトミー・ガリアーノ

・ジョゼフ・ボナンノ

・ジョー・プロファチ

・ヴィンセント・マンガーノ

最後の三人はマランツァーノ派の人間であり、これまで通りの組織を指揮する。

五人の下にはアンダーボス、つまり副リーダーがおり、その下にはカポと呼ばれる幹部が、その下にはチームリーダーがおり、彼らは兵隊を指揮する。

この構造はマランツァーノが敬愛するシーザーを真似てのことだった。

五大ファミリーの説明を終えたマランツァーノは最後に拳を突き上げこう宣言した。

「そして、私は全米のボスを取りまとめる“ボスの中のボス”に就任する」

オメルタ

サルヴァトーレ・マランツァーノ

“ボスの中のボス”マランツァーノはマフィア共通のルールも制定した。

・組織の事は家族にも話してはならない

・ボスの命令には従わなければならない

・挑発されようと他のメンバーに暴力を振るってはならない

・メンバーは家族同然である

・仲間の妻を見てはならない

・これまでのわだかまりは全て水に流すこと

これを破ったものには死の制裁が加えられることとなる。

ひとしきり語り終えると、マランツァーノは出席者に尊敬の証を求めた。

出席者は一列に並びマランツァーノに現金を手渡した。

これはルチアーノも例外ではなかった。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

集まった額は100万ドルを越えていたよ

渦巻く陰謀

1930年の夏、ルチアーノとランスキーは最後の仕上げに向けて動き始めた。

まず二人はペンシルベニアのボス サルヴァトーレ・ルカデローネと話し合いをもつ。

彼は二つ返事でマランツァーノよりもルチアーノを支持すると答えた。

次に二人はクリーブランドへと向かう。

クリーブランドにはマランツァーノに不満をもつマフィア達が集まっていた。

クリーブランドのジョン・スカリーゼとモー・ダリッツ、オハイオのフランキー・ミラノ、フロリダのサント・トラフィカンテ、シカゴからはカポネの代役ポール・リッカが。

集まったメンバーはマランツァーノとマランツァーノに追随する者を皆殺しにするということです意見の一致を見た。

まずルチアーノがマランツァーノを消す。

その知らせを受けた全国各地のメンバーはマランツァーノ派の人間を皆殺しにするということとなった。

これはマフィア史上、希にみる大作戦であった。

その日の夜、一向はボクシング観戦に繰り出し、目を付けられ警官に逮捕されてしまう。

ルチアーノ達はすぐに釈放されたが、逮捕騒ぎはマランツァーノの耳に入ってしまった。

ニューヨークへと戻ったルチアーノはマランツァーノの事務所へと呼び出され、何の集まりなのか問われた。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

俺は友達とボクシングを見に行ったんだ、ボクシングが大好きでね、と答えた

マランツァーノは念を押すように『マッセリアを殺ったときは鮮やかな腕前だったな』と話した。

ルチアーノはそこで、ルチアーノ自身がマッセリアを射殺したと誤解されていることに気が付き“仲間が殺ったのさ”と打ち明けた。

これは宣戦布告も同然であった。

ルチアーノがボスの座に就く資格を失っていないと知ったマランツァーノは、対決は避けられないものと悟った。

マランツァーノvsルチアーノ

ルチアーノとランスキーは来るべきに日備え計画を練り始めた。

マランツァーノは常にボディーガードを連れており、銃を撃てる距離まで近づく事はほぼ不可能、もしくは自殺行為である。

となれば“殺し屋には見えない人物”にならなければならない。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

そこで私はマランツァーノがよく税務署の奴と話していることを思い出した

ランスキーは一軒家を借り、そこに6人のユダヤ人を集めた。

彼らはいずれもマランツァーノに顔が割れてい男たち。

ランスキーは彼らを税務署の職員に見えるよう立ち振舞いや言葉遣いを叩き込んだ。

6人は外出も許されず、勿論電話も禁止された。

数ヶ月がたった頃、コステロが悪い知らせをもってきた。

どうやらマランツァーノは殺しのリストなるものを作成し、凄腕の殺し屋ヴィンセント・“マッドドック”・コールを雇ったらしい。

さらにマランツァーノの側近によると、近々ルチアーノを事務所に呼びつけ、そこで殺しを行うというのだ。

どちらが先に仕留めるか。

ルチアーノとマランツァーノの戦いはいよいよ決着がつこうとしていた。

1931年9月9日、ルチアーノはマランツァーノに呼び出された。

内容は明日会議を開こうとのことだったが、嘘であることは明白だった。

知らせを聞いたランスキーは6人の男たちに最後のリハーサルをさせる。

リハーサルの結果は上々で、問題は彼等がマランツァーノの顔を生で見たことがないということだけであった。

作戦決行

9月10日午後2時、マランツァーノは呼びつけたルチアーノとマッドドックの到着を待ちわびていた。

しかし思わぬ客が現れる。

それはトミー・ルッケーゼ。

ルッケーゼは重要な話があるのでといってきかず、事務所に上がり込んだ。

マランツァーノとルッケーゼが話していると、次に6人の税務署職員が現れ、帳簿を調べるといいだした。

6人のうち2人はボディーガード達を壁に向かって立たせ、もう4人は銃をつきつけマランツァーノとルッケーゼを奥の個室へと連れ込んだ。

そこで4人の税務署職員、に扮していた殺し屋が『マランツァーノさんはどなたかな?』と確認を行った。

ここでマランツァーノは『私に用かね』と名乗り出て、横にいたルッケーゼは静かに頷いた。

これを合図に三人はナイフを取り出し、静かにマランツァーノを片付けようとした。

しかしマランツァーノは叫びながら暴れまわり上手くいかない。

痺れを切らした一人が発砲、ボディーガードは彼等が殺し屋であることに気がついたが手遅れだった。

死亡したマランツァーノ

マランツァーノは四発の弾丸を受け、さらに喉をかっきられ息絶えた。

マランツァーノのボディーガード達と殺し屋たちは我先にとただ者の外へ逃げようと、非常階段をかけおり始める。

幸いなことにボディーガードの中に敵討ちをしようとするものはいなかったのだ。

その途中で一向はマッドドックコールと出くわした。

ルチアーノを殺害するべくやってきたマッドドックコールは既に決着がついたと知らされ、一団と一緒に来た道を戻った。

その頃、ルッケーゼはマランツァーノが本当に死んだかを確認中だった。

と、そこへトミー・ドイルという男が現れた。

彼は不足の事態が起こったときの為にルッケーゼが呼んでおいたのだが、遅刻してきたのだ。

ルッケーゼは『急げ!警察が来るぞ』と叫び、慌てたドイルも非常階段をかけおり始めた。

しかし、運悪く駆けつけた警官と出くわしドイルは逮捕された。

ルッケーゼはというと何食わぬ顔でエレベーターに乗り、そのまま街へと姿を消した。

シチリアの晩鐘事件

3時頃、ルチアーノの元に連絡が入った。

まずは実行犯のメンバー、それからルッケーゼが電話でこう伝えた。“マランツァーノ、死亡”。

既にラジオでもこの一件が報道され始めていた。

ルチアーノは手はずにのっとり全国の同士に電話をかけることに。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

マランツァーノに与するものは皆殺しとの計画だったが、それは不要だと伝えた。 
マランツァーノに与するものが殺された“シチリアの晩鐘事件”というのはまったくのデタラメだよ。マランツァーノが死ぬまでに何人かの奴が殺されたが、50人が殺されたという事実はない。

こうして余計な血を流すことなくルチアーノはマフィア界のトップに立ったのだった。

ルチアーノの改革

ルチアーノとランスキー

マランツァーノの死後、シカゴに全米のマフィア達が集まった。

これは“ルチアーノを祝う会”のようなもので、主催したのはアル・カポネはナッキー・ジョンソンに負けまいと盛大なもてなしを用意していた。

メンバーはルチアーノの意向で大きな円卓に座り話し合いをした。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

私は彼等がサシで話したがっているのを知っていたし、実際にそうした

ルチアーノはボス一人一人と別室でも話し合いの場を設け、新しい方針を伝えた。

・ルチアーノはボスの中のボスにはならない。代わりにボスによる評議会、コミッションを設立する。

・コミッションではルチアーノが議長を勤めるが、皆と同じ権限しかもたない。

・何かを決めるときは多数決で決める

・ボスの暴走を防ぐため、兵士とボスの橋渡し役を勤める“相談役”を各ファミリーに設置する

されから最後にこう念を押した。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

マランツァーノと共に古いしきたりは死んだ。古いしきたりこそが我々の敵なのだ。

こう話したにも関わらず夕食の席に着くと皆が現金をルチアーノに贈ろうとした。

ルチアーノはこれをひとつひとつ丁重に辞退した。

「我々は対等なんだよ、金なんて必要ないさ」

これを見ていたホストのアル・カポネは目を丸くして『なぜ受けとらん?金がいらないと?』とルチアーノに尋ねた。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

私は“私は皆のボスじゃないんだよ”と答えたが、カポネは困惑するばかりだったな

こうしてマフィア界を再編したルチアーノは既に新たる目標を見定めていた。。

紳士のたしなみ

フランクコステロ

フランク・コステロは高級ホテル ウォルドーフ・アストリアで暮らしていた。

朝のルーティーンとしてコステロはまずホテル内の床屋へ行き、次にマッサージとネイルサロンへ、それからレストランで朝食を取りながら政治家や一流企業の社長の挨拶を受けるのだった。

ラッキー・ルチアーノもこれにならい、お隣のウォルドーフ・タワーのマンションに移住した。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

本当にすぐのところだったので、コステロはよく私の部屋を尋ねてきた
後からわかったがコステロは私が彼よりも高い部屋を借りたのを根に持っていた

マンションの名義はチャールズ・ロス。

チャールズ・ロスことルチアーノはマンションを年間契約で借りていた。

大恐慌の真っ只中において、これは大層なことであった。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

引っ越してしばらくは窓からアヒルが見えなくて寂しかったよ

しばらくしてバカな奴がマンションのロビーで“ラッキー・ルチアーノの部屋”を尋ねた。

管理人は私がギャングだと知り、文句をいってきた。

ルチアーノはおもむろにポケットから200ドルを取り出しプレゼントした。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

それから彼は私の忠実な友になった

ラッキー・ルチアーノのルーティーン

ルチアーノの朝は遅い。

起床は11時頃、それから部屋で仲間たちの訪問を受ける。

ランスキー、コステロ、ジェノベーゼ、トーリオ、ルッケーゼなどルチアーノに話のある者はひっきりなしにやってきた。

とはいえ無駄話はしないので、一時頃には会談を終える。

午後の過ごし方は二つ、競馬に行くか女と遊ぶか。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

ニューヨークで唯一、信頼できる売春宿はポリー・アドラーの店だった

アドラーはルチアーノの電話を受けるとすぐに最上級の女を送り届けてくれた。

ゲイ・オルロヴァとの関係も続いていたが、それはそれ、これはこれであった。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

だが私は売春宿は最低の仕事だと思っていた。
カポネは売春に関わっていたから、影で軽蔑されていた。
私は色々と悪事を働いたが売春婦から金を受け取ったことはない

ルチアーノが毎日のように売春婦を呼んだのにはもう一つ言い訳があった。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

仲間たちは皆、結婚し子供をつくった。
ランスキー、アドニス、、コステロは子供はいなかったが。
しかし私は絶対に結婚しないと決めていた。
いつか路上で野垂れ死に未亡人や子どもが泣くのは嫌だからだ

ルチアーノは事が終わると売春婦に5ドルだけチップをやるようにしていた。

チップを期待していた売春婦は明らかにガッカリした顔をするのだが、ルチアーノに言わせると

俺が甘やかしたら皆が困るからな、とのことだった。

事が終わるとこの日の服装選びが始まる。

大きなクローゼットには上等なシャツとスーツがところ狭しと掛かっており、選ぶのは一苦労。

前述したようにルチアーノは派手すぎない服装を好み、だいたいは紺色かグレーを基調にコーディネートを整えた。

支度が整うとルチアーノは車で仲間たちを拾い、イタリアンレストランか酒場に繰り出す。

メンバーだいたいはコステロやランスキー、アナスタシア、ルッケーゼだった。

夕食が終わると好物のアイスクリームを食べに店をはしご、それからようやく仕事を始めるのだった。

自室とは別にルチアーノは映画館の近くに隠れ家をもっていた。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

映画を見ていると頭がスッキリして考えがまとまるんだ

隠れ家にはありとあらゆる犯罪者ーマフィア達、ノミ屋から泥棒までが押し掛けルチアーノにビジネスについて意見を求めるのだった。

ルチアーノは彼ら一人一人の話をじっくり聞き、“こうした方がいい”、“それはヤバい”とアドバイスをする。

これは夜中まで続いた。

疲れはてたルチアーノはマンションに帰宅し、8時間後にはまたルーティーンが始まることになる。

ホワイトハウスを目指す

1932年、ルチアーノ達はニューヨークの共和党政治グループ、通称“タマニーホール”を支配下におき政界を思いのままにしていた。

しかし全てが完璧にゆくわけではない。

次第に大きくなる腐敗を訴える声に耐えきれなくなったジェームズ・ウォーカー市長は汚職調査を民主党のサミュエル・シーベリー判事に命じた。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

シーベリーは真相に迫っており、何から何までマスコミに話した

シーベリーはルチアーノ、ランスキー、コステロ、レプケ、ダッチ・シュルツが行った買収を調べており、逮捕目前まで迫っていた。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

我々はシーベリーに賄賂を送ったが断られ、奴は何もかもニューヨーク・タイムスに暴露した

逮捕を防ぐべく、ルチアーノ達は会議を開き、“大統領を配下に置こう”との結論に至る。

突拍子もない話だが、不可能ではなかった。

ちょうどこの時、三人の男が大統領候補として名乗りをあげていた。

・ジョン・ナンス・ガーナー

・アル・スミス

・フランクリン・ルーズウェルト である。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

ある日私が自宅にいると電話がかかってきた。
相手はなんとローマカトリックのドアティ枢機卿だった。
彼はアル・スミスを押してほしいと言った

しかし、時が経つにつれルーズウェルトの有利が明らかとなってきた。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

スミスは私と同じで口下手だった。
彼が好きだったがね。
ルーズウェルトは教養があって尊敬していたが、信用できないとも思っていた

結局、悩んだルチアーノはルーズウェルトを押すことに決める。

しかし表立っては動かなかった。

いずれ自分の力を必要としてやってくると確信していたのだ。

政治家とマフィア

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

我々はニューヨークの議員を押さえていた。
つまりルーズウェルトがニューヨークから立候補できないようにすることも可能だったのだ

ある日、フランク・コステロの元に弁護士が現れ、ルチアーノを交えて話し合いたい言った。

弁護士はルーズウェルトの使いで、三人はルチアーノの事務所でコーヒーを飲んだ。

フランクと弁護士はオブラートに包んだ言い方で、ルーズウェルトの名前を出さずに話をしていた。

『知事は大統領選に立候補するつもりだ』と弁護士。

これにコステロは「大統領選を戦うには金がかかるだろう。広告やら看板やらね」

対して弁護士。『我々は、我々はね、政治資金出資者を何人か知っていてね』

再びコステロ、『もし、万が一、ルーズウェルトが尋ねてくるなら、いつでもドアは開けておこう』

あまりにまどろっこしい会話を聞いてルチアーノは痺れを切らして言った。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

はっきり言おう、シーベリーがある人達に嫌がらせをしている。
これを辞めさせるなら、我々が票を集めよう

三人は握手をして別れた。

これは暗に話がまとまったことを意味していた。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

コステロは私に言った。『君は腕利きの政治家になれるよ』と

ルーズウェルトは約束を守り記者会見を開いた。

内容はシーベリーの調査を称えるもので、同時にタマニーホールの汚職は認められなかったと話した。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

このニュースを知ったコステロは興奮して私の部屋にやってきた。私は勝利を確信していた

ルチアーノも約束を守るべくランスキー、コステロを伴ってシカゴで開かれる党大会へ出掛ける。

そこでルチアーノはホテルの部屋に議員を順に招き根回しを行った。

招いた議員の中には対抗馬のアル・スミスもおり、ルチアーノは利益のために今回はルーズウェルトを押してほしいと言い含めた。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

しかしスミスはわんわんと泣きわめき始めた。
それから落ち着きを取り戻しこう言った。
『チャーリー、これは人生最大の間違いだよ、ルーズウェルトは約束を守らないし、君を殺そうとするだろう』
私は最初に感じた直感を信じておくべきだったのではと感じた。
部屋を出た後も私の膝は震えていた。。

一方、ランスキーは別室で酒を振る舞い議員達と友好を深めた。

この時、既にアル・カポネは刑務所にいたが酒は滞りなく手にはいっていたのだ。

ルチアーノの予感

ルチアーノの予感は悪い形で的中した。

大統領となったルーズウェルトはシーベリーに以前よりも強い権限を与え不正を調べさせ始めたのだ。

第一の標的となったウォーカー市長はすぐに辞任させられた。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

私がルーズウェルトを当選させたとは言わない。
しかし重要な後押しをした。
政治家はすぐに買収できるが信用できない生き物だと私は知っていたんだ。
しかし大統領を目指そうという男までそうだとは思わなかった

ルチアーノは幼き頃に学んだ教訓“誰も信用してはらない”という事をすっかり忘れてしまっていたのだった。

この失敗はどうやっても取り返すことのできないものであった。

こうしてルチアーノを始め暗黒街の栄光に暗雲が立ちこめ始めた。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

ところでだ、アメリカの大統領ともあろうものがマフィアの後押しで当選するなどあってはならんと思わないか?

それぞれの道

1933年、禁酒法が廃止された年、マフィア達は各々の道を歩もうとしていた。

ランスキーはハバナへ行きフルヘンシオ・バチスタ大統領と会った。

ランスキーは大統領のお墨付きを得たうえでキューバに“ギャング帝国”を築こうとしていた。

ラッキールチアーノ
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私は300万ドルをバチスタに渡した。
さらにランスキーはバチスタに毎年300万ドルを支払っていた

ランスキーの300万ドルの出どころはキューバに建設したホテル・ナショナルの上がりであった。

キューバではアメリカの目と鼻の先であるにも関わらず合法的にカジノを運営することができたのだ。

レプケやルッケーゼは組合事業に専念し始めた。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

我々はアメリカ最大の輸送事業者であり、食品業者だった

さらにレプケは殺人株式会社のリーダーも勤めていた。

殺人株式会社とはコミッションが承認した殺しを一手に引き受ける殺し屋集団で、副リーダーはアルバート・アナスタシア。

一方、フランク・コステロは合法的にキングズ・ランサムを独占販売する“アイランス・ディストリビューター”という会社を設立。

ルチアーノはランスキー、バグジー、アドニスと共にワインとウィスキーを輸入する事業を立ち上げた。

皆、別の道を歩み始めたのだが、問題はヴィト・ジェノベーゼだった。

ヴィト・ジェノベーゼ

1932年のこと。

ジェノベーゼは人妻のアンナという女性に一目惚れをした。

ジェノベーゼはすぐに旦那を殺害し、アンナを自分のモノに。

それから二人は新婚旅行でイタリアへと出掛けた。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

彼はナポリで自分の事を売り込んで回った。
そこで彼は麻薬組織とコネを作ったんだ。
それからというものジェノベーゼはしきりに麻薬の話を持ってくるようになった。
私は言ったとおり麻薬には関わらないと決めていたがね

現れた彗星

1933年、マフィア達に宿敵が現れた。

組織犯罪の撲滅を託された若き検事 トーマス・デューイである。

トーマス・デューイ

彼は有言実行の男で、頭がキレ、なによりも犯罪者を憎んでいた。

デューイが手始めに起訴することにしたのは“ブロンクスの帝王”ダッチ・シュルツ。

シュルツは禁酒法が終わるとナンバーズ賭博を仕切るようになり悪名を高めていた。

ラッキールチアーノ
ラッキールチアーノ

シュルツはケチな奴だった。
いつも安っぽい服を着ていて、ズボンは二着しかない事が自慢だった。
彼が買うものと言えば新聞くらいだったな

ダッチ・シュルツはまもなく脱税で起訴され、カポネと同じ運命を辿るかと思われたが買収工作で難を逃れた。

しかし再度、証拠を集めたデューイはまたもシュルツを起訴。

逃げられないと悟ったシュルツは逃亡し指名手配犯となった。

ダッチ・シュルツ

シュルツは実のところニューヨークに潜伏しており、割りと自由な生活を送っていた。

しかし、FBIによって“公共の敵No.1”に指名されると状況は一変。

ここからマフィア達の完璧な計画に狂いが生じ始める。。

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