三分で学ぶ!ラッキー・ルチアーノpart3
三分で学ぶ!ラッキー・ルチアーノpart3
大恐慌時代の幕開け
一命を取り留めたラッキー・ルチアーノは、バルビゾン・ホテルを引き払うことに決めた。
引っ越しの仕度に忙しくしていたある日、ルチアーノ、ランスキー、コステロの三人はセントラル・パークへと散歩に出掛ける。
降り注ぐ日差しの中、ルチアーノはぽつりと言った。
「マッセリアとマランツァーノをやっちまおう」
そこでランスキーは強敵二人を刺し違えさせるための計画を話した。
散歩の翌日、アメリカは“大恐慌時代”へと突入した。
株式市場は大暴落し失業者が街に溢れたのだ。
そこでルチアーノは新たな戦略を考えはじめた。
もはや禁酒法時代が終わるのは間近だと思った。
そこで私は密造酒ビジネスを合法的な酒を販売へと切り替える準備を始めた
さらにルチアーノはランスキー、コステロ、バグジー等を集め新たなビジネスについて話し合った。
不景気な時代だからこそ、人々が求めるものを提供しようということになった。
第一にギャンブル、それに高利貸し。加えて合法企業の買収。
特に合法企業の買収は多くの業界をマフィアが牛耳るきっかけとなってゆく。
頼れる男
大恐慌時代には多くの堅気の、それも一流の人物がルチアーノに金を貸して欲しいと頼ってきた。
ルチアーノは訪ねてきた友人達には安い金利で金を貸してやり、万が一相手が金を返せなくなっても笑って許していた。
私は野蛮なギャングではないこと、友情を大切にする男だと示したかった
同年のクリスマス、ルチアーノは久々に実家へと帰宅した。
最高のクリスマスだった。父も私を罵らなかった。
母は私の顔の傷を擦り、時折涙ぐんだ。
これを見た私は少しのあいだ、本気で堅気の人間になろうと思ったほどだ。
しかし窓の外にあるキャデラックを見て、私は野心を捨てることは出来ないと悟った
激動のマフィア界
年は明け1930年。
マッセリアはルチアーノに『仲間のガエタノ・レイナが裏切ろうとしている。彼を引き留めろ』と伝えた。
1月15日、マッセリアの要求を受けたルチアーノは仲間達を召集した。
メンバーはアドニス、コステロ、バグジー、ジェノベーゼ、トミー・ルッケーゼ。
そこでルッケーゼはルチアーノ達に重要な情報をもたらした。
『俺はさっきレイナと飯を食べてきた。レイナがいうにはマッセリアはジョー・プロファチとジョー・ボナンノの暗殺を企んでいるらしい』
ボナンノとプロファチはマランツァーノと同じカステランマーレの出身だった事が命を狙われた原因だった。
ルチアーノは全ての情報を整理し、頭をフル回転させた。
“もし、プロファチ、ボナンノが死亡しレイナがマッセリア側に留まれば、マランツァーノファミリーとマッセリアファミリーの均衡は崩れマッセリアが絶対優位となる。
しかしなぜマッセリアは二人の殺害を私に命じないのだろう?
それは二人の殺害の実行犯に私を仕立て上げ、マランツァーノに狙わせる気なのだ”
そこまで考えていたときバグジーが『何をそんなに考えるんだよ、イタリア人は思いきりが悪いな』と話しかけてきた。
確かにその通りでもあった。
最終的に集まったメンバーはボナンノとプロファチを助け、戦争を加速させようとの結論に至った。
私はレイナ殺害をヴィトに命じた。レイナは尊敬に値する男だったし、殺したくはなかったが仕方がない
この日、不在だったランスキーは妻の出産に立ち会っていた。
子どもは男の子だったが難産で、生まれながらに障害をもっていた。
レイナ暗殺
1930年2月26日、ジェノベーゼはレイナを待ち伏せた。
ジェノベーゼはレイナに笑いかけながら親しげに近より、それから散弾銃で頭を吹き飛ばした。
ルチアーノは直ぐ様“マッセリアがレイナを殺した”との噂を広め始める。
マッセリアはレイナが死ぬと、レイナの腹心であったトミー・ルッケーゼ、トミー・ガリアーノ、ドミニク・ペトリを呼び出し、『レイナの縄張りは俺が直々に管理する。当面の指示役はジョゼフ・ピンツォロに任せる』と申し付けた。
あくまでもレイナとレイナの部下は“マッセリアと友好的”なだけであって、マッセリアの手下ではなかった。
その為、マッセリアの言い分は大きな反発を招く。
1930年9月、その結果ピンツォロはルッケーゼとペトリに射殺された。
マッセリアの切り札
期は熟したと判断したルチアーノは友人アルバート・アナスタシアと呼び出しマッセリアとマランツァーノを倒すことを打ち明けた。
アナスタシアはルチアーノを抱きしめこう言った。
「チャーリー、俺はこの時をずっと待っていたよ。あんたがトップに立つんだ。大賛成さ。ただひとつ“奴”に気を付けろ」
奴とはピエトロ・“クラッチングハンド・モレラ”の事である。
モレラはマッセリアと常に行動を共にする凄腕のガンマンで、いわばマッセリアの御守りであった。
ルチアーノとアナスタシアはまずモレラを始末することに決めた。
1930年8月15日、ルチアーノに誘い出されたモレラは闇金事務所で射殺された。
ルチアーノはすかさずマッセリアに『どうやらマランツァーノはシカゴから助っ人を呼んでモレラをやったらしい』と報告。
これにより戦火はシカゴへと飛び火する。
シカゴの戦い
当時、シカゴを支配していたアル・ルカポネはマッセリア支持を表明していた。
一方、カポネと敵対するジョー・アイエロはマランツァーノを支持していた。
マッセリアはマランツァーノに戦争資金を送っているアイエロを始末するべく、カポネの元へ殺し屋のアル・ミネオを貸し出す。
アイエロは無惨にも蜂の巣にされ死亡。
これを受けたマランツァーノは1930年11月15日、ミネオ等マッセリアの部下を殺害。
マッセリアも殺し屋に襲われたが、彼は弾丸を華麗な動きで避けて難を逃れた。
これを皮切りに全米各地で殺しあいが勃発。
特にニューヨークでは全てのビジネスが停止し、マフィア達は隠れ家に避難した。
街では毎日のように誰かが殺されたが、戦争が終わる気配はなかった。
マランツァーノとの再開
ルチアーノはマランツァーノへと再びメッセージを送った。
このままではビジネスは再開できる見通しも立たない。我々は平和を望んでいる、と。
私はあの一件以来、用心深くなっていた。
結局私はブロンクス動物園のライオンの檻の前を会合場所に指定した
会合にはランスキー、アドニス、ルッケーゼ、バグジーが同席、マランツァーノもプロファチとボナンノを引き連れてきた。
ルチアーノはあくまでも平和のためにマッセリアを抹殺するつもりであると説明。
その代わり、平和が訪れたあかつきにはルチアーノと仲間の安全を保証して欲しいと求めた。
マランツァーノはにやりと笑い、これに同意した。
最期の食事
1931年4月15日、ルチアーノはマッセリアと作戦会議を行っていた。
昼が近づいた頃、ルチアーノはマッセリアに飯を食べようと誘う。
二人はコニーアイランドのいきつけのレストランで食事を始めた。
マッセリアはワインを飲みながらスパゲッティやオードブルをたいらげた。
ルチアーノはこれを見ながらちびちびとワインをすすり、スパゲッティを一皿食べた。
やがマッセリアはデザートとコーヒーを注文。
二人はコーヒーを飲みながらマランツァーノファミリーを皆殺しにする方法を語り合った。
マッセリアは三時間は飯を食っていた
夕方となり客もまばらになった頃、ルチアーノはトランプをしようとマッセリアを誘った。
マッセリアは早く仕事に戻りたがっていたが、一度だけゲームをすることに同意。
楽しいトランプの最中ルチアーノはトイレへたち、入れ替わりに数人の男がレストランへと入ってきた。
男達はバグジー、アドニス、アナスタシア、ジェノベーゼ。
外のキャデラックには運転手のチロ・テラノヴァが待機していた。
四人はマッセリアを見つけると即座に発砲。
マッセリアは6発の弾丸を受けて、椅子から崩れ落ちた。
この時、マッセリアの手にはスペードのエースが握られたままであった。
四人はマッセリアの死を確認すると急いで車へと戻った。
しかしテラノヴァは緊張から震えが止まらずエンジンをかけられない。
そこでバグジーが代わりに運転し四人は逃走した。
一方、ルチアーノはゆっくりと手を洗ってから警察に連絡した。
私は警察に取り調べられると“トイレにいたんだ、私の小便は長くてな”と話した
数日後、マッセリアの葬式が行われた。
墓地へ向かう葬列は果てしなく長く、ボスの最後に相応しいものであった。
マッセリアと共に古いしきたりは死に絶え、マランツァーノの理想とする“新しいマフィア”が産まれようとしていた。。
ラッキールチアーノグッズはこちらへ