三分で学ぶ ラルフ・カポネ

三分で学ぶ ラルフ・カポネ

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今回はアル・カポネの兄ラルフを紹介していきます!

ラルフ・カポネの生い立ち

ラルフ・カポネ(左)

ラルフは1894年に誕生し1895年にアメリカへと移住した。

アルと同じ環境で育ったもののラルフは堅気の人生を歩みミルク会社に就職した。

そこで瓶詰めを担当していた事から“ボトルズ”とあだ名される。

このあだ名は後に酒を販売するようになってから、よりしっくりくる事となる。

また1915年にはフィロメナという女性と結婚し息子を授かっている。

シカゴへ

ラルフ・カポネ

1920年代、シカゴで頭角を現したアルは家族をシカゴへと呼び寄せ、兄弟にビジネスの手伝いをさせ始めた。

ラルフは職歴を活かして密造酒工場の瓶詰めラインを管理するようになる。

さらにコーラやソーダ水の販売を手掛け一財産を築いたのだった。

アルカポネ帝国末期の1930年にはシカゴの“パブリックエネミーNo.3”に選ばれ悪名を馳せた。

アルカポネ逮捕後

ラルフ・カポネ

1931年、アルは脱税で逮捕される直前に次期ボスにフランク・ニッティを指名した。

これによりシカゴマフィアの勢力図は大きく変わることとなる。

その後もラルフは組織から重宝され続け、シカゴのコットンクラブの運営などを担当した。

しかし1932年に弟と同じく脱税の罪で有罪判決を受け3年間服役した。

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実はカポネよりも先に有罪判決を受けたがあの手この手で逃げ回っていました。

出所後のラルフ

ラルフ・カポネと母

出所したラルフは組織の中で“そこそこ”の地位を保ち続けた。

アルとの絆は健在で釈放されたアルの金銭面の面倒を見ていたという。

またラッキー・ルチアーノとも交流があり彼がハバナへ渡った際には一緒に一晩中騒ぎ明かしている。

キーフォーヴァーとラルフ

1950年にはキーフォーヴァー委員会から厳しい追及を受けた。

ラルフ自身はのらりくらりと受け答えをしたが、父の悪行にショックを受けたラルフJr.が自殺してしまう。

これ以降、ラルフは恵まれない子供を支援する活動を始めたと言われている。

さらに1932年、有罪となった脱税について国税局はしつこくラルフを追い回し、財産を差し押さえようとした。

その嫌がらせはラルフが死ぬまで続き、胃痛の種となったのだった。

私生活のラルフ

ラルフ・カポネ

私生活では三度の結婚と離婚を繰り返している。

また馬好きな事でも有名で競争馬を所有していた。

彼の馬は並み以上の成績を納めており裁判などでは常に職業を馬主と名乗っていた。

晩年はウィスコンシンに移り住み穏やかな日々を楽しみ1974年11月22日に心不全で死亡した。

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