禁酒法時代と海賊
禁酒法時代と海賊
禁酒法時代は、マフィア達が成り上がるきっかけになったことで知られています。
ニューヨークではラッキールチアーノ達が、シカゴではアルカポネ達が暗躍していました。
しかし海岸沿いでは見過ごされがちな、マフィアとは別の犯罪者が暗躍していました。。
海賊の夜明け
海賊達にとって禁酒法時代は大きなチャンスだった。
巧みな操船術を駆使して、警察の取締りを回避する彼らは密輸にうってつけの人材だったのだ。
多くの人が思い浮かべる海賊とは違うが、ニュージャージー海岸沖で酒密輸を行った伝説の人物 ビル・マッコイ。
彼も一種の海賊と分類されている。
マッコイはボードウォークエンパイアにも登場していましたね。
密輸の温床
禁酒法時代、酒密輸の大きな拠点となったのは南フロリダだった。
ラム酒、ウイスキーなどを積んだボートが次々とバハマやのキューバからやって来ていた。
キューバからのボートには酒の他に、密入国者や麻薬が積んである事も多かったとか。
そんな南フロリダの海の主役は‘‘メキシコ湾流海賊‘’と呼ばれたジェームズ・ホレス・アルダーマンだった。
アンダーマンはフロリダの南西海岸沖のマングローブが密集したテンサウザンズ諸島で育った。
禁酒法時代が始まるとアンダーマンは沿岸警備隊を凌ぐ高馬力エンジンを装備した超高速ボートを使用して、トップ密輸業者として名を馳せるように。
アルダーマンの悪名はたちまち暗黒街へと知れ渡った。
海上の修羅場
1920年代半ば、沿岸警備隊と南フロリダの密輸業者の戦いは激しさを増していた。
多くの一般人は密輸業者を英雄視しており、アンダーマンは皆から尊敬されるようになってゆく。
1926年8月7日、アンダーマンとその仲間のロバート・ウィーチは大量の酒を積んでマイアミへ戻る帰路にあった。
そこへ7人の乗組員とシークレットサービスのエージェントが乗船している沿岸警備隊の船が現れた。
湾岸警備隊はアンダーマンの船に向かって発砲、船を停めるように命じた。
アンダーマンが船を停止させると、沿岸警備隊は乗り込んできて積み荷の酒を全て沿岸警備隊の船に積み直した。
この後何が起こったのかは不明である。
が、沿岸警備隊によると船は修羅場と化した。
アンダーマンが沿岸警備隊の船に銃を持ち込み発砲し始めたという。
やがて別の沿岸警備隊の船が応援に現れ、シークレットサービスのエージェント達が死亡しているのを発見。
二人が生き残っていたものの、一人は病院に運ばれた後に死亡。
もう一人は視力を失った。
アンダーマンとウィーチは暴行の末、半殺しの状態になっており拘束されブロワード郡の刑務所に移送された。
しかし「刑務所を襲撃する」との脅迫が続いた事からより安全なジャクソンビルに移送された。
警察はアンダーマンを一級殺人罪で起訴。
ウィーチは刑期を逃れるために政府の証人に寝返った。
裁判と嘆願書
1928年1月、アンダーマンは裁判にかけられた。
結果、彼は3件の殺人と海賊行為で有罪。死刑判決を受けることに。
翌年、アンダーマンの弁護士は有罪判決を上訴。
アンダーマンはキリスト教に改宗し、刑務所で定期的な祈祷会を開き始めた。
加えて彼が回心するに至ったプロレスを綴った本も出版する。
これに感銘を受けた陪審員と裁判官は減刑の嘆願書を合衆国最高裁判所とハーバート・フーバー大統領に提出。
しかし裁判所と大統領は減刑を認めなかった。
アンダーマンの最期
アンダーマンは沿岸警備隊基地で秘密裏に処刑される事が決定した。
しかしその情報は漏れ、地元の記者が基地へと忍び込みその様子を記録した。
詳細は以下のとおりである。
「絞首台の足場が落ち、アンダーマンの首が締まった。
通常ならこれで即死となるがアンダーマンは死ななかった。
彼は死ぬまでに12分間苦しんだ。
1929年8月7日午前6時19分、アルダーマンは米国沿岸警備隊によって絞首刑にされた唯一の人物になった。」
果たして戦場で何があったのか?その真相は永久に闇へと葬られた。