謎に包まれたギャング フランク・マシューズ
謎に包まれたギャング
フランク・マシューズ
今回は突如消えてしまったギャングのお話です。
フランク・マシューズ
1944年、フランク・マシューズはノースカロライナ州に生まれた。
マシューズは床屋になれという親に逆らい、14才の時に家を飛び出しニューヨークへと向かう。
やがてマシューズはニューヨークで違法な宝くじを売る仕事にありついた。
イタリアマフィアとマシューズ
1960年代半ばニューヨークの黒人ギャングはイタリアマフィアと繋がりを持っていて、半ば支配されている状態にあった。
あの有名なヘロイン密売ルート フレンチコネクションも健在で、マフィアは黒人ギャングの麻薬ビジネスをガッチリと握っていた。
マシューズは麻薬ビジネスで成功するにはマフィアの助けが不可欠だと感じ、ガンビーノファミリーとボナンノファミリーに自身を売り込むことに。
しかしマシューズは〝黒人の若造〟に過ぎずマフィアはマシューズを無下にあしらった。
しかしマシューズにもチャンスが巡ってくる。
マシューズは大物麻薬ディーラーのレイモンド・マルケスと出会った。
二人は意気投合し、マシューズは麻薬ディーラーとして働くことに。
やがてマシューズも暗黒街でひとかどの人物となる。
マシューズは出世するとマフィアを嫌い、彼らとは絶対に仕事をしたがらなかった。
マシューズの帝国
1970年代、マシューズの麻薬帝国はボストンからコネチカット、中西部、アラバマ州、ミズーリ州など西部の21州に拡大。
1件の取引で25万ドルもの金を稼ぐようになっていた。
1969年から1970年初頭にかけてマシューズは100〜150キロのヘロインをニューヨークに持ち込んだと言われている。
1971年にはアトランタに全国の麻薬ディーラーを召集し、コミッションのような議会を設立した。
しかし思わぬところからマシューズは追い詰められる。
当時マシューズの家の隣には刑事が住んでいた。
刑事はマシューズが高級車を運転し、紙袋を持った男が昼夜を問わず訪れているのを見て、疑わしく思うように。
やがて出入りする車を調べた刑事はマシューズが麻薬ディーラーであることを確信。
1972年6月、警察はマシューズの電話の盗聴を開始した。
そしてマシューズが航空会社のスチュワーデスに月額1,000ドルを支払って、ヘロインを密輸していることを突き止めた。
加えてマシューズは盗聴された電話で不注意な発言をし、1972年11月に仲間と共に逮捕された。
逮捕されると仲間達はマシューズの悪事を洗いざらい証言。
マシューズには有罪判決がくだった。
しなし幸運にも1973年4月ニューヨークで4か月間服役した後、32万ドルの保釈金で釈放された。
この時マシューズはまだ29歳でした
なぜ釈放されたかというと、警察はマシューズを泳がせ、彼が溜め込んだ莫大な資産の在りかを突き止めようとしたのだ。
しかし、マシューズは釈放された後、姿を消した。
完全に。
目撃情報、家族との接触、指紋など警察はあらゆる捜査を行ったがマシューズは見つからない。
1974年に設立された麻薬取締局は、マシューズの逮捕につながる情報に対して2万ドルの懸賞金をかけた。
これは1931年のジョン・デリンジャー以来の高額だった。
しかしマシューズの行方は現在に至るまで判明していない。
まんまと逃げおおせたのか、何者かに始末されてしまったのか。。
もし存命ならマシューズは今年77才になる計算。
マシューズは今もどこかで暮らしているのかもしれない。