三分で学ぶ! ヴァージニア・ヒル
三分で学ぶ!マフィア暗黒史
ヴァージニア・ヒル編
こんにちは!
今回は、このコーナー初の女性 ヴァージニア・ヒルを紹介していきます!
バグジーと出会うまで
バグジーや など大物マフィアを手玉に取った稀代の悪女ヴァージニア・ヒル。
しかしマフィアの悪女になる以前は、ごくごく普通の主婦であった。
1916年8月26日、ヴァージニアヒルはアラバマ州リップスコムでで生まれた
ヒルの両親は仲が悪く、常にケンカをしていた。
そして父はそのイライラを度々、ヴァージニアに暴力としてぶつけた。
それが原因でヴァージニアは、他者を一切信用しなくなり、双極性、社会性、境界性人格障害であると診断される。
しかし両親が離婚してからは、母親の元で暮らす。心の傷も癒えた。
しかし、またもヴァージニアが人間具申に陥るような出来事が起こる。
1931年.15歳の時にヴァージニアは地元の男、ジョージ ランデルと結婚。
1933年、17歳の時にヴァージニアと夫は、当時万博が開催中で景気が良かったシカゴへ引っ越した。
しかし、ここで思いもよらぬことが起こる。
ヴァージニアはランデルから、「働いて金を入れろ」と命令されたのだ。
ランデルは働く気などなく、売春婦として働かせるためにヴァージニアをシカゴへ連れてきたのだった。
しかし、売春婦の仕事だけでは金遣いの荒いランデルを養えず、ヴァージニアはウェイトレスの仕事を始めた。
ヴァージニアは、ウェイトレスの仕事中にチャールズ・フェシッティという男にいいよられた。
当初は、乗り気ではなかったヴァージニアだが、彼がアルカポネのいとこで、大金持ち、しかもヴァージニアを愛していると知り、離婚。彼の女になった。
しかし、チャールズ・フェシッティも実の所ヴァージニアを愛していたわけではなかった。
彼は、口が堅く、いつでもベットを共にしてくる便利な女だとして、ヴァージニアをマフィアの仲間に貸し出すように。
このように2度も男に利用されたヴァージニアは、今度は自分が男たちを利用してやろうと考えるようになる。
この頃にはヴァージニアは、書類上でも4度の結婚を重ねていました。
また、結婚というものを軽くみているようにも思われるヴァージニアにはこんなエピソードがあります。
ヴァージニアは12才の弟に、コーラスガールを紹介して、こう言った。
「女と寝たければ、寝ればいい。でも結婚は絶対にダメ!」
ヴァージニアはその後も、違う女を代わる代わる弟に紹介したが、結婚は絶対に許さなかったそう。
マフィアの運び屋
売春婦時代に磨いたヴァージニアのベットテクニックはシカゴのマフィア中に広まった。
そしてついにシカゴマフィアのボス、アル・カポネに貸し出されることに。
ヴァージニアはこの時、カポネから二つの才能を褒められた。
1つは、マフィアよりも口が堅いこと。
2、女なので警察からマークされにくいこと
そしてこう命じられる。
「俺たちのメッセンジャーとして働くんだ」
初対面のヴァージニアを信頼しすぎではないかと思われるかもしれないが、実際にヴァージニアは金の受け渡しについて警察から尋問を受けたことがあったが、こう言い張っている。
「私が関わった男達は金の運搬を依頼したのではない。口でする贈り物を送っただけです」
こうしてマフィアからマフィアへの秘密のメッセージの伝達や、金の受け渡しを任されたヴァージニア。
そんなある日、ヴァージニアはさらに危険な仕事を申し付けられた。
ニューヨークのマフィアの内情を偵察するべく、ルチアーノファミリーの大物、ジョー・アドニスに接触し監視する任務を与えたのだ
彼女はさっそくニューヨークへ行き、アドニスと関係を持ち、彼の女となった。
しかし、色男かつ太っ腹なアドニスの方が、カポネよりも利用しがいがあると見込んだヴァージニアは二度とシカゴへ戻らなかった。
バグジーを手玉にとる
こうしてニューヨークに住み始めたヴァージニアは、毎晩アドニスと共にクラブを渡り歩き、彼の仲間たちを紹介されていった。
そしてある晩、ベンジャミン・バグジー・シーゲルを紹介される。
自分に気があることを見抜いたヴァージニアはバグジー誘惑。
彼の宿泊するホテルについていき一夜を共にした。
この時、ものをいったのは自慢のベットテクニックではなく、ヴァージニアの美貌と肝の座った性格。
そうバグジーは、ベッドの相手としてではなく、本気でヴァージニアにほれてしまっていたのだ。
バグジーは、ヴァージニアのいうことなら、なでもきくようになる。
そしてヴァージニアは、ベッドの中で、バグジーからラスベガスにカジノホテルを建設するという計画を聞かされる。
大金の匂いをかぎ取ったヴァージニアは、バグジーを手玉に取り〝建設するカジノホテルの建設責任者に任命させることに成功。
大規模な工事の場合は複数の建設責任者を置くのが定積だが、バグジーは彼女一人に全てを任せた。
ヴァージニアはそれをいいことに、ホテルのデザインや資材の買い付け、職人への外注など全てを取り仕切った
その過程の中でヴァージニアは、資材の架空計上や、自身の給料を破格の金額にする、職人への給料を中抜きするなどして、せっせと金をくすねた。
その金はスイスにある自分の口座に運んだ。
しかしバグジーはそんなことにも気が付かず、ホテルの名前をヴァージニアのあだ名である〝フラミンゴ〟と名付け、喜んでいた。
ちなみにこのあだ名の由来は、「足が綺麗だから」「顔が真っ赤になるから」「フェ◯チオが上手だから」など諸説ある。
そうしているうちにもヴァージニアは金をくすね続け、フラミンゴの建設費用はどんどん膨らんでいく。
当初100ドルだった建設費は、なんと600万ドルに。
それでもいっこうに完成する様子のないホテル。
これに怒ったのは、建設費を出資しているマフィアのボスたちだった。
しかし、バグジーは自身に横領の疑いをかけられても、決してヴァージニアを疑わなかった。
フラミンゴオープン
1946 年 12 月 26 日、フラミンゴがついにオープンした。
しかし、ヴァージニアが建設費用をネコババし続けたせいで、客室やレストランは未完成。
当然客入りもまばらで、オープン初日から赤字を出した。
しかし、そんなホテルの様子を気にも留めないヴァージニアは、ホテルの中では主のようにふるまった。
ある時は、ヴァージニアはひどく酔っ払い、女性客に因縁をつけ、ビンタを浴びせた。
またある時は、ステージに出演した歌手を気に入り、イギリスから取り寄せた特注品のドレスをプレゼントしたことも。
さらに、勢いづいたヴァージニアは堂々とバグジーに金を貢がせるようになっていく。
彼女がねだるプレゼントはとにかく規格外で、3000ドルのミンクのコート、フロリダの別荘、さらには競馬場もプレゼントさせている。
しかし、そんな生活も長くは続かなかった。
マフィアのボスたちはバグジーの女、ヴァージニアが金を盗んでいるのではないかと疑い、スイスの銀行に部下を送った。
そしてヴァージニア名義の口座にある、300万ドルを見つけた。
1947年6月16日、監視されていることに気が付き始めたヴァージニアは、危険を察知し、念のためオーストラリアに飛び身を隠すことにした。
そしてそのわずか4日後、ヴァージニアの家でくつろいでいたバグジーがハチの巣にされ死亡した。
近距離からの刺激により、左目を吹き飛ばされたバグジーの写真を新聞の一面で見つけたヴァージニアは、恐怖のあまり崩れ落ちたという。
その後、ヴァージニアは、バグジーのビジネスパートナーだったマイヤーランスキーに依頼して、スイスにある300万ドルを、ボスたちのまとめ役、ルチアーノファミリーのボス、ラッキールチアーノに返金してもらうよう依頼した
こうして、なんとか事なきを得たヴァージニアだったが、じょじょにラッキールチアーノを逆恨みするように。
そしてルチアーノから、金を奪い返すことを誓う。
バグジーの死後
バグジーの死をきっかけに、身の危険を感じオーストラリアへと移住したヴァージニア。
その当時ラッキー・ルチアーノは強制買収の罪で起訴、強制送還されイタリアにいた。
これにヴァージニアはよろこんだ。
ルチアーノには、四六時中マスコミと警察が張り付いており、妙なことができないのを、新聞で見て知っていたからだ。
彼女は、アドニスとバグジーから聞いたルチアーノファミリーの情報を裁判で証言するとルチアーノを脅すことに決める。
さっそく彼女はルチアーノにこう手紙を書いた。
『ナポリに行くので会いましょう。裁判での証言について相談したいことがあります』
この手紙を読んだ時の感想をルチアーノは、こう振り返っている。
『すぐに脅迫だと悟った。
ヴァージニアはイカれた女で誰とでも寝たし、知りすぎていた。どうしても消さねばならないと思った』
しかし、世間の目を気にしたルチアーノは脅しには屈し、ヴァージニアに金を振り込んだ。
一説には60万ドルといわれている。
こうして金を取り戻したヴァージニアは、1950年にオーストラリア人でスキー選手のハンス・ハウザーと再婚。
娘を授かり、平穏な生活を歩み始めた。
その16年後の1966年3月24日の朝、小川の横の小道を歩いている通行人が、街路樹の横にできた雪だまりに倒れているヴァージニアの死体を見つけた。
彼女のコートはきれいに折りたたまれて地面においてあり、その横にあった遺書には「人生に疲れている」と書かれていた。
さらに体内から大量の睡眠薬が検出された。
前日に怪しげな男たちが自宅を訪ねてきたという夫の証言は無視され、警察は自殺であるとして捜査を打ち切った。
彼女の死にはマフィアが関与したとささやかれているが、真相は定かではない