ロバートデニーロとアイリッシュマンの秘話
こんにちは!
今回は、アイリッシュマン製作秘話を紹介していきます。
ホッファ失踪
ジャーナリストのダン・E・モルディアは「ホッファ戦争」という書籍も出版している事件研究の第一人者です。
モルディアは1974年にホッファの不正に関する調査を始め、ウォールストリートジャーナルから依頼を受け記事を書くまでに。
彼の記事は、1975年7月22日から24日までのジャーナルに掲載されました。
そして、その次の週の1975年。
その時モルディアは、ホッファの誘拐は自作自演だと思い、山小屋や牧場などを巡りホッファの捜索を行った。
情報提供者
調査を進めているうちにモルディアは、6日前にホッファの遺体の処分に関わったと語る男を発見した。
細かな聞き取り調査を行ったものの、確固たる証拠は得られなかった。 だが調査内容をNBCニュースへ提供し、それを元に特番が放送された。
ホッファ殺害から1か月後、モルディアは調査の結果を15ページの書類にまとめ、それをFBIのデトロイト現地事務所に提出。
FBIの特別捜査官は、モルディアに協力を求め、何度もインタビューを行った。
モルディアは、情報提供者の身元は明かさなかったものの、多くの事柄をFBIに話した。
ホファ戦争
1978年8月下旬、モルディアは、ジミー・ホッファの興亡を描いた「ホッファ戦争」を出版。
その本によると情報提供者は、ホファの殺害はトニー・プロヴェンツァーノ(トニー・プロ)が計画し、サルヴァトーレ・ブレグリオによって実行され、フランク・シーランはサポート役の一人に過ぎなかった。
また、ホッファの義理の息子チャールズ・オブライエンが、車を運転してホッファを殺害現場まで運んだ。
その後、殺害されたホッファは、石油ドラムに詰め込まれ、輸送トラックでニュージャージーへ運ばれ、トラックごとスクラップにされた。 と語った。
モルディアに、この本を見たフランク・シーランの弁護士から連絡があり、シーランがホッファ殺害に関与したというのは事実無根であり、法的措置を行うと警告を受けた。
※この時点ではらシーランは殺害を認めていなかった。
ちなみに、モルディアは「ホッファのドラム缶は農場に埋められた」という説を唱え、怪しい農場を捜索したりもした。
ロバートデニーロ
2008年、映画「アイリッシュマン」の製作が発表されるとモルディアはロバート・デ・ニーロとアポをとり、対談を申し込む。
そこでモルディアは、「フランクシーランは嘘をついており、ホッファ殺害の犯人ではない」と訴えた。
しかしデ・ニーロは「シーランの語った事は真実だ」と話し、モルディアも熱くなって「あなたは何もわかっていない!」と再度訴えた。
デニーロも役作りの過程でシーランがインタビューを受けているビデオテープを見るなどして、シーランは真実を語っていると確信するに至っていたのだ。
険悪な雰囲気となり、二人が会うことは二度となかった。
その後も、映画の原作に否定的なコメントをしたりと、モルディアは映画の製作に反対し続けた。
こんな経緯があったデニーロは映画公開前のインタビューでこう語っている。
「私が知っていることが、1つだけあります。 フランクが言ったこと、彼の説明の仕方、彼の話し方のすべてを知っています。
彼の話し方は、信用できる」
ロバートデニーロがシーランを信じていなければ、説得され役を降りていたかもしれませんね。
ありがとうございました!