三分で学ぶアメリカギャングスター ベビーフェイス・ネルソン編

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三分で学ぶアメリカギャングスター
ベビーフェイス・ネルソン編

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今回はデリンジャー編に登場したネルソンについてです

ベビーフェイスネルソンの生い立ち

ベビーフェイスネルソン

1908年、ジョージ・“ベビーフェイス”・ネルソンことレスター・ジョゼフ・ギリスはシカゴで誕生した。

幼い頃から不良少年で12才の時に友人を撃ち逮捕、13才の時にも自動車窃盗で逮捕された。

少年院から戻ったのは1924年4月11日、14歳の時。

前年のクリスマスに父親は自殺しており養ってくれる者はおらず、堅気の仕事に就いた。

また、私生活では1928年に結婚し2人の子供を授かっている。

小悪党

ネルソンはガソリンスタンドの従業員として働きつつ、スタンドを根城とするギャング団に所属していた。

主な仕事は酒の配送と窃盗。

やがてアルカポネの下請けとして雇われたネルソンはボディーガードのマシンガン・マクガーンと親しくなった。

しかしあまりの気性の荒さを見かねたカポネはネルソンを追放。

ここからネルソンはより多くの稼ぎを求めて過激な犯罪に走り始める。

1930年1月6日、豪邸を見つけたネルソンと仲間達は押し入り強盗を行った。

味をしめたネルソンは二ヶ月後にも押し入り強盗を決行。

大金を稼いだことに気を良くしたネルソンと仲間達はもっと難易度の高い獲物にチャレンジすることにした。

怒涛の転落人生

ネルソン

1930年4月21日、ネルソンは初の銀行強盗に成功、4000ドルを持ち去った。

10月3日には再び押し入り強盗を、6日には市長宅に押し入り宝石を持ち去った。

市長の妻は犯人の顔を見ており、こう説明した。

「犯人は赤ん坊みたいな顔をしてました」

これがベビーフェイス誕生の瞬間であった。

次の押し入り強盗では家主が抵抗し銃撃戦になり仲間の三人が死亡、ネルソンも初の殺人を犯してしまう。

ネルソン一味はこの失敗から逮捕され、刑務所に送られるのだがすぐに脱獄し稼業に戻った。

スターへの道

“ベビーフェイス”・ネルソン

1933年8月18日、ミシガン州の大きな銀行を襲撃したことでネルソンは一躍、有名になった。

実際のところ稼ぎはほぼなかったという。

しかし気を良くしたネルソンは“今こそ時代の主役になるべきだ”と確信。

仲間をスカウトしてプロだけを集めた強盗チームを結成した。

1933年10月23日、ミネソタ州の国立銀行を襲撃し64万ドル(現在価値)を強奪。

野次馬にマシンガンをぶっぱなすなどして、マスコミからも注目を集めた。

捜査が迫っていると感じたネルソンは家族を連れてテキサスへ移住。

1933年12月9日、近隣住民の「ご近所さんがギャングみたいなの。。」という通報を受けた警察はネルソン家に警官を送り込んだ。

ネルソンは警官の一人を射殺、一人に重傷を追わせ家族とミネソタへ逃亡した。

デリンジャーとネルソン

デリンジャー編で語られたように、デリンジャーはネルソンを一味にスカウトした。

ネルソンの名誉の為に言うならば、これは同盟に近いものであった。

1934年3月13日、デリンジャー&ネルソン一味はアイオワ州の国立銀行を襲撃。

4月3日にはアジトに乗り込んだ捜査官を射殺し逃走している。

4月20日、一味は山中のロッジに潜伏していたのだが、これを察知したFBIに包囲されてしまう。

ネルソンは真っ正面からFBIと撃ち合いを演じ、その隙にデリンジャー達は山中に消えた。

デリンジャー達と分断されたネルソンは一般人を人質にとり車で逃走。

しかし車が気に入らなかったネルソンはロッジに戻り捜査官二人を射殺、FBIの車を奪って再び逃走した。

しかし、車はパンクしてしまいネルソンはしばらく山中に潜伏することとなってしまう。

その間に家族はFBIに確保され、妻は有罪判決を受けた。

さらに5月、6月中にデリンジャー・ネルソン一味のメンバーが次々とFBIに射殺されていった。

最後の仕事

6月30日、再開したデリンジャーとネルソンは高飛び前の最後の仕事に取りかかった。

この強盗にはプリティボーイフロイドも参加していた。

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フロイドについてはまた明日に!

入念な準備のもと仕事に取りかかったデリンジャーとネルソンだったが、偶然警官が通りかかり、すぐに銃撃戦が始まってしまう。

さらに人質だった少年がネルソンを取り押さえようとしたが、ネルソンに張り倒された。

混乱の中、デリンジャーとネルソンは28,000ドルと人質を連れて銀行の外に出た。

しかしFBIは人質に構わずに発砲を始める。

ネルソンも負けておらず警官隊を制圧してから逃走した。

FBIの執念

7月、ネルソンは仮釈放中の妻と子供、仲間と共にシカゴに潜伏していた。

7月15日、ネルソンは仲間を集めて作戦会議を開いた。

しかし警察が会議の場に突入、ネルソンは警官2人の足を撃ち仲間と共に逃亡した。

1934年7月22日にはパブリックエネミーNo.1だったデリンジャーが死亡。

FBIのJ.エドガーフーヴァーは次のパブリックエネミーNo.1にネルソンを指名した。

8月23日、警察の相次ぐ摘発により、遂にデリンジャー・ネルソン一味はネルソン一人を残すのみとなった。

ネルソンはその後もラスベガスなど全米を転々とし逃亡を続けた。

一方、FBIは一つの別荘に的を絞り、ずっと張り込みを続けていた。。

最後の戦い

11月27日、ネルソンは例の別荘を訪れたが、FBIに気がつきすぐに逃亡した。

ネルソンが追っ手に気を配りながら車を走らせていると、対向車線にFBIの車が現れた。

お互いはすれ違った後、相手の背後を取ろうとグルグル周り、最終的にネルソンがFBIを追うという奇妙な形になった。

攻撃こそ最大の防御なのである。

まずネルソンが窓から身を乗り出し発砲、FBIも応戦。

この弾丸がネルソンの車のオイルタンクに命中した。

ネルソンの車は停止したが、気づかないFBIはそのまま逃げていった。

しばらく走り続けたFBIはネルソンが居ないことに気がついて、来た道を戻り再び銃撃戦を始めた。

ネルソンは車のドアを盾にしながら、家族に隠れろと叫んだ。

ネルソンはリロードを短縮するため、次から次へとマシンガンを取り替え応戦していた。

激しい撃ち合いの中、ネルソンの脇腹に一発の弾丸が命中。

だが、ネルソンは倒れなかった。

FBIに打ち返すネルソン。FBIも負けまいととネルソンの足を撃ち抜いた。

ついに倒れたネルソンは這って移動しながらもFBIを制圧、車を奪って逃走を再開した。

だがしばらく走った後、ネルソンは車を止めた。

気がつくと自分が思っている以上に射たれている事に気がついたのだ。

その数はなんと17発にのぼっていた。

ネルソンは「もうおしまいだな」と呟いた。

その後ネルソンは仲間の家に運び込まれたものの、そこで死亡した。

ちなみに妻は逃亡を手助けした罪で一年服役、その後は平穏な人生を歩んだ。

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