カンザスシティの虐殺

1933 年 6 月 17 日、カンザスシティのユニオン駅鉄道車両基地で銃撃事件が発生し、5 人が死亡、2 人が負傷した。

死亡者の中には捜査局(後のFBI)の職員、警察署長、刑事2名が含まれている。

この銃撃戦は後にカンザスシティ虐殺と呼ばれるようになり、議会は初の連邦銃規制法や連邦法執行官の銃所持義務などを含む一連の犯罪法案の可決を促した。

それはまた、FBI長官J・エドガー・フーバーのチンピラ達に対する聖戦の引き金となった。

カンザスシティ虐殺の中心人物は、ニトログリセリンを使った金庫破りの才能を持つ多作の銀行強盗フランク・ナッシュだった。

彼は1913年に強盗仲間を背中から撃ったとして終身刑を受けた後、第一次世界大戦中に西部戦線で戦うことによって恩赦が与えられた。

2度目の懲役刑(今回は爆発物を使用した強盗で懲役25年)中、ナッシュは善良な行動をとったため早めに出所することに成功する。

しかし、1924年に列車強盗で再び刑務所へ。そこで彼は7人の囚人を引き連れて脱獄した。

FBIはナッシュをアーカンソー州ホットスプリングまで追跡し、1933年6月16日に逮捕。その夜、ナッシュと法執行官の護衛は、翌朝早く到着する予定のカンザスシティ行きの列車に乗り込んだ。

一方その頃、ホット・スプリングスの刑事部長ハーバート・“ダッチ”・エイカーズは、街にいるナッシュの仲間リチャード・ガラタスにこう密告していた。

「FBIが囚人を連れてカンザスシティに向かう途中だ」

彼はギャング達に買収されていたのである。

知らせを聞いたガラタスは、元サウスダコタ州保安官で凄腕のガンマン、ヴァーノン・ミラーにナッシュを助けてほしいと依頼した。

1人で挑むのは無謀だと判断したミラーは、カンザスシティの売春宿に向かった。

そこで彼は、アダム・リチェッティとチャールズ・アーサー・“プリティ・ボーイ”・フロイドという2人のガンマンを雇うろ、ユニオンステーションに向かった。


列車内でナッシュを護衛していたのは、オクラホマ州マカレスター警察署長のオットー・リードと、フランク・スミスとジョセフ・ラッキーという二人のFBI捜査官だった。

到着すると、彼らはリード・ベッターリ特別捜査官とレイモンド・キャフリー捜査官、カンザスシティ刑事のフランク・ハーマンソンとウィリアム・グルームズに出迎えられた。

その後、警官らはナッシュを駅の外に駐車されているシボレーに誘導し、車に乗せた。

と、その時、近くの車の陰から武装した男2人が現れ、銃弾の雨を降らせた。

警官たちはショットガンやピストルで武装していたが、反撃する暇もなかったようだ。

2人の刑事とキャフリー捜査官は車外の地面で息絶えていた。

また、車中では警察署長とナッシュまでもがハチの巣にされていた。

失敗したものの大事件を引き落としたヴァーノン・ミラーは、シカゴに逃亡した。

そこでマーダー・インクのボスであり旧友の、ルイス・“レプケ”・ブカルターに匿ってもらおうと考えたのである。

だがバカルターにとって、FBIに追われているミラーは疫病神でしかなかったようだ。

1933年11月、デトロイト郊外の溝でミラーの遺体が発見された。

これにより獲物を失った捜査局は「プリティボーイ」フロイドの捜索を開始する。
「プリティ・ボーイ」フロイドとアダム・リチェッティは一緒に逃亡しており、ニューヨークで2人の姉妹とカップルを装いながら身を隠していた。

1934年10月、彼らは地元警察に見つかってしまい銃撃戦に発展する。

リチェッティは捕らえられ、フロイドはなおも逃走した。

だがその2日後、メルビン・パーヴィス率いるFBI部隊がフロイドを追跡し殺害した。

ちなみにリチェッティは1938年に殺人罪で有罪判決を受け、ミズーリ州刑務所のガス室で処刑された。

大きな流れ

カンザスシティ虐殺事件後、将来の悲劇を防ぐ取り組みは迅速に行われた。

機関銃を振り回す盗賊と真っ向から対決しなければならないなら、武器を増強する必要がある。

待ち伏せ攻撃から1週間後、カンザスシティ担当特別捜査官ラルフ・コルビンはフーバーに銃の追加を要求する書簡を送った。

「私たちはトンプソン・サブマシンガンを1丁、高性能ライフルを2丁、45口径のコルト自動拳銃を約4丁と、それぞれに十分な弾薬を持たなければなりません。ソーオフショットガン 1 つまたは 2 つも役立つでしょう。私は、彼らと対等な立場で対峙できない限り、こうした無法者たちを追いたくない」

これにフーバー長官は次のように返答した。

「カンザスシティで行われた様な卑劣な行為に対処するために、武器を手配します。」

またコルピン捜査官はこうも述べていた。

「私たちが持っているのは局から支給された小型軽量ピストルだけです。これでは凶悪犯に対処できません」

これは現代にも通ずる問題かもしれない。


1934 年、議会は連邦法執行を強化する多数の犯罪法案を可決した。

これによりFBIに、連邦犯罪の逮捕と令状執行、銃器の所持が正式に認めた。

また国家銃器法により、リボルバー、ピストル、ライフル、銃身の長さが 18 インチを超える散弾銃を除くすべての銃器が規制されることとなった。

この法律は、法当該銃器を財務省を通じて登録することを義務付け、譲渡には200ドルの税金を課すというものである。

この法律は現在でも有効ですが、手数料は 1934 年以来変わっていない。

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