ワンスアポンアタイムインアメリカのトリビア

ワンスアポンアタイムインアメリカのトリビア

マフィアグッズ専門店

今回は映画ワンスアポンアタイムインアメリカのトリビアを紹介していきます。

トリビア1
・撮影が完了した時点で、映像は10時間ほどの尺があった。
セルジオ・レオーネ監督はこの映画を2本立ての6時間の映画として公開したがっていた。

トリビア2
・公開時は無理やり二時間に短縮したバージョンが公開された。

トリビア3
・ジョー・ペシはもともとマックスのオーディションを受けていいた。
しかしレオーネ監督はペシが役に合わないと判断。
友人のデ・ニーロへの好意として監督はペシに、代わりの役柄を与えた。

トリビア4
・好きな役柄を選べと言われたペシは脚本を見て、出番の多いフランキー役を選んだがその出番はほとんどカットされた。

トリビア5
・マックスのオーディションを受けた俳優は200人以上いた

トリビア6
・原作はデヴィッド〝ヌードルズ〟アーロンソンが書いた自伝小説。

トリビア7
・監督はヌードルスイと合ってえらく感激した。

トリビア8
・冒頭のシーンは監督とヌードルスが初めて会ったときの様子を再現している。

トリビア9
・撮影は1982年6月14日から1983年4月22日まで行われた。

トリビア10
・クリント・イーストウッドはジミー・オドネルの役割を断っている

トリビア11
・監督は群衆が映るシーンで子供がカメラ目線な事に気に入らず、35回撮り直した。

トリビア12
・ヌードルスが霊廟を訪れるシーンの外観は、ブロンクスのウッドローン墓地で撮影された。

トリビア13
・ジェームズ・キャニーが老いたヌードルスを演じる予定だった。

トリビア14
・元ギャングの俳優 ジョージ・ラフトがゲスト出演する予定だった。

トリビア15
・脚本でデボラは15歳の設定だが、演じたエリザベス・マクガバンは、撮影が始まったときは20歳、撮影が終わったときは21歳、映画が初演されたときは22歳。

トリビア16

・ハリー・グレイ(ヌードルス)の原作小説を脚本にするために6人の作家が知恵を絞った。

トリビア17
・ギャングの死体がハドソン川に捨てられ沈み、底には多くの死体が。。というオープニングが予定されていた。

トリビア18
・マイアミビーチのシーンは、フロリダ州セントピートビーチで撮影された。

トリビア19
・映画の最初と最後(1933年)に聞かれた「GodBless America」という曲は1943年のもの。禁酒法が廃止されたときにビーチでジャズバンドが演奏した曲「サマータイム」は、廃止から1935年のもの。
時代に合わない曲が使われたのはミスなのか意図的なのかは謎。

トリビア20
・イタリア語吹き替え版の声優は監督がキャスティングした。

トリビア21
・ロバート・デ・ニーロは、ジェームズ・ウッズ(マックス役)に白い付歯をつけることを提案した。
歯の代金はデ・ニーロが支払って、プレゼントした。

マフィアグッズ専門店

白い歯は金持ちの象徴でした

トリビア22
・‘’35‘’が頻繁に登場する。
1923年、ヌードルスは6:35にマックスの時計を盗む。 ヌードルスが身を隠していたのは35年間。 ゴミ収集車に書かれた数字も35。

トリビア23
・ビーチのシーン。
風が吹いた時に捲れて見える新聞のページが全て同じ。

トリビア24
・ビーチボールで遊んでいるのが映るが、ビーチボールが発明されたのは1938年で当時はなかった。

ちなみにスプレーペイントの落書きが映るが、ペイントが開発されたのは1949年。

トリビア25
・ごみ収集車のシーンではマックスを違う俳優が演じている。

より詳しく原作との相違や、史実のヌードルス達のその後について知りたい方はこちらをご覧ください。

関連記事:ワンスアポンアタイムインアメリカの史実と秘話

あわせて読みたい

カテゴリ