パイナップル予備選挙

パイナップル予備選挙

公平・公正が前提となっている選挙。

そこに以下のようなルールが加わったら、どうなるでしょうか?

・暴力OK

・脅迫OK

・殺しOK

それがよくわかるのが「パイナップル予備選挙」である。

1928 年 4 月、アメリカ・シカゴ。

2人の政治家が派閥を率いて、選挙で火花を散らしていた。

1人は、現シカゴ市長のウィリアム・ヘイル・トンプソン。

彼は汚職にまみれた人物で、金と引き換えにギャングに便宜を図ることで知られていた。

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また、彼はカポネから選挙資金を出してもらっていたともいいます

ウィリアム・ヘイル・トンプソン

もう1人は、ジュゼッペ・エスポジート。

彼は現役のギャングで、殺人の逮捕歴もある人物である。

善良なシカゴ市民がどちらの当選も望んでいなかったのは、言うまでもないだろう。

それから数日後。。。

数々の汚職が暴露されたことでトンプソンが不利な状況になる。

すると彼は、とあるホテルの一室に向かった。

「どうにかして選挙に勝たせてください、なんでもしますから」

涙を浮かべ懇願するトンプソン。

その向かい側には葉巻をふかす大柄な男性が座っていた。

当時最強の武力を誇ったギャング、アル・カポネである。

カポネは煙を一気に吐き出すと、笑顔でこう請け負った。

「がはははっ、そこまで言うなら勝たせてやろう」

この瞬間から、シカゴは戦場と化した。

カポネは、エスポジートに与する政治家の事務所、
さらには、彼の支持者が集まりそうな投票所に手榴弾を投げ込むよう、命じたのである。

ちなみに手榴弾はパイナップルの隠語で呼ばれており、これが「パイナップル選挙」と呼ばれた由来だ。

パイナップルのおかげで、多くの者が怖気づいたのだが、どうしてもトンプソンに歯向かい続ける男がいた。

それは現役ギャングのエスポジート。

彼はカポネから直接「立候補を辞退しろ」と脅迫を受けたが、退かない。

その結果、カポネの怒りが爆発した。

1928年3月21日夕方、エスポジートは選挙演説を終え、自宅に帰宅した。

彼は自宅前で2人のボディーガードに告げる。

「ここまででいい、明日も頼むぞ」

その瞬間、背後からけたたましいブレーキ音が聞こえてきた。

振り向くとそこには黒塗りの車が止まっている。

エスポジートとボディーガードは突然のことに、固まってしまった。

すると後部座席から男たちが飛び出してきて、、、、

58発もの弾丸を撃ち込んだ。

これによりエスポジートは死亡。

ボディーガード2人は、その場にうずくなったことで難を逃れたという。

そののち、警察は事件現場から、二連式散弾銃2丁とリボルバー1丁を発見している。

しかし、目撃証言などはなく、犯人が捕まることはなかった。。

その後もカポネは、エスポジート派の候補者を殺害したり、自宅を爆破するなどやりたい放題だった。

しかし、意外なことにトンプソン派の政治家はみな、落選してしまう。

シカゴ市民は表立って非難こそしなかったものの、その悪行に怒っていたのだ。

今回登場した“シカゴの帝王”、アル・カポネについては、YouTubeでも詳しく解説しています。

多分どこよりも詳しいと思うので、ぜひご覧ください。

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