セバと呼ばれた男part2
アメリカとミオン・モギレヴィチ
ミオン・モギレヴィチが、ドナルド・トランプと出会った時、アメリカにとって彼は人物になった。
FBIは、2017年1月の大統領選挙の日以前に、トランプの選挙運動をミオン・モギレヴィチが支援していることに気がついた。
そしてその裏には、ウラジミール・プーチンの影が見え隠れしていた、
トランプとプーチンの間にはつながりがあり、プーチンとモギレヴィッチの間にもつながりがあった。
ロシア連邦保安庁(旧KGB)の亡命者で、イギリス在住中に毒殺されたアレクサンドル・リトビネンコは、2006年11月に亡くなる前に、モギレビッチが1990年からウラジーミル・プーチンと親しい友人だったと主張している。
トランプのロシアとの関係は、彼のビジネス的なものも政治的なものも、うずうずするほど難解である。
トランプは、プーチン大統領とのつながりが疑われ、大統領就任後の数年間は、四方八方に限りない憶測で埋め尽くされた。
AP通信の報道によれば、トランプは2017年5月の会談で、イスラム国の過激派に関する高度な機密情報をロシア当局者に明かした。
また、トランプがペントハウスを自宅の1つとしてビジネスの拠点にしていたマンハッタンの華やかなマンション、トランプタワーには、大統領選に至るまで多くの怪しげな人々が出入りしていた。
借りている人もいれば、買っている人もいる。
いずれにしろ、ほぼ間違いなく、彼らは自分の名前を冠したビルを支配する男の道を横切ることになる。
小さな日本人
1991年にシベリアの刑務所から釈放されたヴャチェスラーフ・イヴァニコーフは、「小さな日本人」と呼ばていた。
強盗や麻薬取引などさまざまな犯罪で逮捕され、投獄された経験を持つ彼のロシアマフィアでの地位は、情報筋によると殺し屋からボスまで様々である。
彼の早期釈放は、有力政治家の介入とロシア最高裁判所の裁判官の収賄によるものだと伝えられている。
賄賂はモギレヴィッチ経由だったのかもしれない。
イヴァニコーフは1992年3月にアメリカに渡り、映画産業で働く起業家を名乗った。
ロシアから来た常習犯が、どうやってアメリカに入国するビザを取得したのか、その経緯は説明されていない。
また、ブルックリンにあるロシアンマフィアのボスになったという説もあれば、単なる泥棒だったという説もある。
そして、経緯は謎だが、彼はトランプタワーに住んでいた。
そして、1970年代以降、歴史的にブルックリンのコニーアイランドにあるブライトンビーチを拠点としてきたロシアンマフィアを牛耳っていた。
その後、ウォール街の投資会社を巻き込んだ恐喝でFBIに逮捕・起訴され、刑務所に入ったが、2004年に釈放されモスクワに強制送還された。
そして2009年7月、モスクワのレストランを出たところをスナイパーに狙撃され死亡した。
また、モギレビッチは、1991年11月に謎の死を遂げた英国の政治家、出版業者、金融業者であるロバート・マックスウェルとも親密であった。
しかし、その死の謎はいまだ解明されていない。
そして、このロシアンマフィアのボスは、マクスウェルの娘で、現在アメリカで20年の刑に服しているジスレーヌとも関係があった。
ジスレーヌは、性犯罪者であり国際金融家でもあるジェフリー・エプスタインと関係があり、ロシアのギャングと金という、複雑な人生を送っていた。
謎の存在セバ
Village Voice誌の記事には、「モギレビッチは、ロシア国内の他の犯罪カルテルと協力し、イタリアのカモッラとのつながりを確立することで、ロシアの組織犯罪における支配的地位を築いた」とある。
また、他のロシア犯罪集団の情報を提供することで、モスクワの警察を寄せつけなかったとも言われている。
1994 年 4 月、ロシア下院の安全保障委員会の委員長であるヴィクトール・イリューキンは、組織犯罪 と組織的腐敗の密接な関連から、エリツィン政権を犯罪国家と呼んだ。
この事態に、モギレビッチほど深く関わっていた人物はいなかった。
彼は2008年に脱税でモスクワに帰国後、逮捕されたが、翌年には事件は解決した。
ロシア内務省は、彼に対する容疑が「特に重大な性質のものではない」とし、彼を釈放した。
釈放された彼は、ファミリーから引退し、モスクワかその近郊に住んでいるようだ。
そのすぐ近くでは、彼の友人であるプーチン大統領が、モギレビッチの生まれ育った郡で、終わりの見えない戦争を繰り広げている。