暴かれたマフィアの入会式part3

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ボナンノファミリーの入会式

2015年、ボナンノファミリーとガンビーノファミリーのメンバーとされる13人の男が逮捕された。

カナダとアメリカの警察は、協力して情報提供者のチンピラをボナンノファミリーのメンバーになれるよう後援。

ついに彼はマフィアのメンバーに選ばれ、2015年にカナダで開かれた入会式に参加した。

警察はこの作戦についてこう話す。

“カナダで正式にマフィアに入会させられた。

当局は入会式を密かにビデオ撮影しており、カナダとアメリカの国境の両側でマフィアとされる人物をさらっている。

大規模な麻薬、銃、金の捜査における予想外のハイライトとなった。

アメリカの警察によると、ボナンノファミリーのマフィアは、入会式を行うためにカナダに渡航していた。

少なくとも5人が参加したこの入会式は、ボナンノファミリーの代理ボスであるダミアーノ・ズンモが主宰したとされている。

録音された式典の中で、ズンモは名もない入会者にこう言った。

「もう-この人、この人、この人-みんなが承認したんだから、今日から君はボナンノ・ファミリーの一員だ。おめでとうございます」

対して入会者は、「ありがとうございます」と言った。

入会者はその後、メンバーを我々の友人と呼ぶことを教わった。

「では、ジョンを紹介しよう。ジョン、ボナンノと我々の友人だ。ジョン、ボナンノと我々の友人だ。
さて、君の隊長は○○だ。」

フィリーファミリーの記録

1990年7月29日、ジョージ・フレゾローネは、送信機と盗聴器を身につけマフィアの入会式に出席。

ニュージャージー州警察のために 秘密の入会式を記録した

また、彼は380件近い会話を密かに録音していた。

1994年には、その録音を元にしたノンフィクション小説、『血の誓い』を執筆。

2002年、48歳のフレソローネは、連邦証人保護プログラムで暮らしていた非公開の場所で心臓発作で死んだ。

フレソローネは、フィラデルフィアファミリーのニューアーク支部のメンバーであった。

ボス代行のアンソニー・ピッコロは、ブロンクスの自宅で礼拝を行い、5人の新メンバーに、コーザ・ノストラはビジネスではなく、名誉のものであると告げたとフレソローネは言う。

パトリアルカの入会式

レイモンド・”ジュニア”・パトリアルカ

最後に、パトルアリカファミリーの入会式の様子をお届けしたい。

1989年10月29日、ニューイングランド・マフィアのボス、レイモンド・”ジュニア”・パトリアルカは、4人の新しいメンバーを自分のファミリーに迎え入れた。

合計21人のマフィアが出席した入会式でのことだった。

ジュニアの父、レイモンド・L・S・パトリアルカは、ニューイングランドファミリーの創設者であった。

1984年にパトリアルカ・シニアが亡くなった後、ニューイングランド・マフィアは衰退し、ロードアイランド州プロビデンスとボストンに拠点を置く、歴史ある2つの派閥が支配権を争うようになっていた。

ファミリーのアンダーボスであるジェリー・アンジュロは、組織全体を掌握するために動き出した。

しかし、幹部のラリー・ザニーノは、パトリアルカ・ジュニアを支持した。

ニューヨークのガンビーノファミリーもジュニアの出世を後押しし、アンジュロを降格させ、ザニーノをコンシリエーレに任命した。

ジュニアは父親に比べ弱く、トップの座に相応しくないと思うものもいた。

しかし、ガンビーノファミリーの継続的な支援で、彼は勝利した。

1987年、ザニーノは30年の禁固刑を言い渡された。

彼の不在はジュニアの弱さを際立たせただけだった。

ウィリアム・”ザ・ワイルドマン”・グラッソが次のアンダーボスに指名された 。

彼は狡猾で冷酷なマフィアで、多くの人が彼こそがファミリーの本当の権力者だと考えていた。

しかし、1989年6月にグラッソーがライバルに殺害された。

その後、ニコラス・ビアンコがファミリーのプロビデンス派を引き継いだ。

このような背景から、1989年の入会式は、ジュニア・パトリアルカが不安げに、言葉を濁すように展開された。

「私たちは皆、ファミリーに新しいメンバーを迎え入れるために、そしてそれ以上に、新しいスタートを切るためにここにいるのです。

今までのことはすべて忘れて……過去のことは水に流して、みんなに良い未来を」

その様子は、入会者の一人、ヴィンセント・フェデリコが姉から借りたギルド通り34番地の家に仕掛けられた盗聴器によって、すべて捕捉されていた。

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