シリコンバレーマフィア
ジョー・セリートはカリフォルニア州の自動車修理センターの所有者であり、リンカーンのディーラーとして成功した人物。
しかしその裏の顔はマフィアのボスだった。。。
そして彼が率いたファミリーの歴史とはー!?
小さなファミリー
セリートが率いたファミリーは全米の中でも最も小さなものだった。
しかし1957年に開催されたマフィアの全国会議 アパラチン会議には出席できるくらいの尊敬を集めていた。
またジョゼフ・ボナンノとも友好関係にあり、ボナンノがコミッションと抗争中には代理の使者としてシチリアに飛んだりもしている。
セリートの経歴
そんなセリートの出世街道は、前任のボス オノフリオ・シオルティーノの死後ファミリーを継承したことから始まった。
彼は残されたメンバーに連帯を呼び掛け、ファミリーの事業を合法的なビジネスにシフトするなどの改革を遂行。
これはファミリーのメンバーがチンピラのような微罪での逮捕を繰り返すのを見かねてのことだった。
FBIはこのような隙だらけのファミリーを見逃さなかった。
FBIは逮捕されたメンバーを次々に情報提供者に仕立てて行く。
これによりFBIはファミリーの全貌を用意に解明することができた。
しかしわかったのはファミリーが今は犯罪活動を行っていないという衝撃的な事実だった。
情報提供者「ファミリーはチーズ工場のからみかじめ料を取っていた。
でも今後は支払わなくてよいことになった。
それに組織の許可無しに犯罪を犯すなとも言われた。
これはボスの命令で絶対のルールだ」
マフィアの披露宴
1964年7月、セリートの娘の大規模な結婚披露宴が開催された。
出席者はセリートファミリーのアンダーボス エマニュエル・フィグリア、サルヴァトーレ・プロファチなど豪華な顔ぶれ。
セリートは目立つ事を嫌い披露宴には乗り気ではなかったという。
普段から不用意な行動はするなと語ってきたセリートが派手な披露宴を開催した事に不満をもつメンバーも少なくなかった。
ライフ誌裁判
1967年11月、ライフはアメリカのマフィア全国地図なるものを掲載。
そこに顔写真を載せられセリートは激怒、セリートは名誉毀損でライフ誌を訴え700万ドルを請求した。
セリートの弁護士はこう声明を発表した。
「セリート犯罪組織のメンバーではなかったし、今もメンバーではない。事実無根だ」
しかし裁判官は訴訟を破棄。
さらにライフ誌は特集を組みがセリートの悪事を書き立てた。
セリートの最期
70年代後半、セリートの小さなファミリーはより一層小さくなっていた。
1978年9月7日セリートが心臓発作で倒れるといよいよファミリーは崩壊してゆく、
セリートの死後、ファミリーはアンジェロ・マリノに引き継がた。
サント・トラフィカンテ・ジュニアはセリートをこう評している。
「他人に依存していても誰も殺せない非常に弱い男。何の才能もない。」
その言葉通りつまらない殺しですぐに逮捕され1983年に心不全で死亡した。
マリノが死亡するとファミリーは組織としての機能を失って行く。
1986年カリフォルニア州議会に提出された組織犯罪報告書の中で「南カリフォルニアに拠点を置く唯一の機能している伝統的な組織犯罪家族である」と紹介されているが、実態は不明。
最後に存在が確認されたのは2002年。
更新された組織犯罪報告書には「活動は休眠状態だが西海岸で唯一の伝統的な組織犯罪グループである」と記されている。
セリートの経営していた会社があった一帯は発展が進み、現在はシリコンバレーとして知られている。
またらリンカーンディーラーも健在でネットショップとして現在も経営されている。