ジョゼフコロンボ狙撃事件
ジョゼフ・コロンボ狙撃事件
1971年6月28日、コロンボファミリーのボスであり“イタリア系アメリカ人公民権同盟”の代表 ジョゼフ・コロンボを銃弾が襲った。
コロンボは一命を取り留めたものの植物状態となってしまう。
この事件に隠された陰謀とはー!?
型破りなマフィア
「どうすればコロンボはルールに従うんだ?」
この発言はFBIがニュージャージー州のマフィアを盗聴した際に録音したものである。
この言葉が表すようにジョー・コロンボは型破りなマフィアだった。
コロンボのマフィア人生も同じく型破りなもので、直属の上司だったジョー・マグリオッコを敵対ファミリーに売ることにより出世している。
そして最も型破りだったのは“イタリア系アメリカ人公民権同盟”を立ち上げたこと。
コロンボはこの団体を利用し「FBIはマフィアなどという、ありもしない物を作り上げイタリア人を差別している」と主張。
捜査をしづらくさせようとしていた。
映画ゴッドファーザーの公開を阻止しようとしたのもこの団体です。
イタリア系アメリカ人公民権同盟
1970年初頭、コロンボの名前は連日新聞に取り上げられるようになっていた。
団体は主に「マフィア」と「ラ・コーサノストラ」という単語を使わないよう警察に抗議。
さらに団体はFBIが情報提供者を雇って、イタリア系アメリカ人に対して虚偽の証言をさせ陰謀を企てたと非難し大きな騒動を巻き起こしていた。
非難を浴びるコロンボ
コロンボは“イタリア系アメリカ人公民権同盟”発足時にこう演説したことがある。
「私たちは非常に強力な公民権団体になりたいと思っています。
支援をどの人種にも限定するつもりはありません。
私たちの支援が必要な人は誰でもそれを受けられる」
コロンボは目立たぬように団体では正式な役職には就かなかった。
しかし自己顕示欲を押さえられず演説までしていたのだ。
このような目立つ行動はマフィアのルールに反している。目立つ男は余計なトラブルを招くからだ。
マフィアのデモ
当然、抗議されたFBIは団体に反発。
「これは新しい傾向です。
マフィアでさえデモを行っている」とコメントした。
対してコロンボは「不動産で稼いでいる。
マフィアではないしマフィアとの関連もない。
団体の活動資金は寄付されたものだけでなりたっている」
活動をやめて欲しいと願うFBIとマフィア達の思いとは裏腹に団体は急成長を続けて行く。
1970年の夏にはニューヨークのコロンバスサークル大規模な集会を開催し10万人もの人々が参加した。
その中の4万人は団体に会費を支払っており、会費はコロンボの元へと流れていた。
金を稼げて自己顕示欲も満たせる活動を辞めるなどコロンボには到底考えられないことであった。
三発の弾丸
1971年6月28日月曜日、コロンボは二度目の大規模集会に参加していた。
48歳にも関わらず誰よりも活発に活動しデモ行進にも参加。
そこへ報道機関資格証を提げた男が近づいてきて、リボルバーを三発発砲した。
弾丸は全てコロンボの頭に命中、会場は大パニックに陥った。
この時何者かが「コロンボをやったぞ」と叫んだ。
また別の男が「色のついた(黒人)男がやった!」と叫んだと言われている。
発砲ににより大混乱となった会場では警察官と参加者、ボディーガード、殺し屋が入り乱れる乱闘が勃発。
その中で実行犯の黒人ギャングも射殺された。
この乱闘では殺人が発生したにも関わらず逮捕された者は一人もいませんでした。
倒れたコロンボ
救急隊員はコロンボをルーズベルト病院へと搬送、すぐに手術が行われた。
手術は五時間にも及び、脳内から弾丸を取り除く作業は困難を極めた。
生存の可能性はないかとも思われたが、コロンボは奇跡的に回復。
翌朝には昏睡状態ではあるものの自分で呼吸し左腕を動かすことができるまでになった。
一方この頃、警察は事件現場からいくつかの拳銃を回収。
さらにコロンボ銃撃犯の身元を特定していた。
犯人はニュージャージー州在住の25歳、ジェロームA.ジョンソン。
彼はヒトラーの崇拝者であることで知られていた。
事件のその後
警察は捜査の結果、多くの目撃者から証言を得ることに成功。
しかしジェローム・ジョンソンを殺害した人物を割り出すには至らなかった。
マスコミは「写真に警察とジョンソンが撃ち合っている姿が写っていた」と発表したが警察は否定している。
この報道をきっかけに陰謀説が広まり始め、現在も様々な説が囁かれている。
・政府の陰謀である
・マフィア同士の戦争である
・クレイジー・ジョーの仕業である
など。
コロンボはというとブルックリンの自宅で7年間眠り続け、1978年5月22日に死亡した。
病院のスタッフは死因について、「7年前の負傷によって引き起こされた心停止である」と発表した。