マフィアの歴史を変えた男ディッキーとヴィト・ジェノベーゼ
疑惑を始まり
意図せずマフィアの歴史を大きく変えた男がいた。
それは米軍犯罪調査部員のオレンジ・C・ディッキーだった。
1944年、ラッキー・ルチアーノの右腕であるヴィト・ジェノベーゼは逮捕を逃れるためアメリカへ逃亡。
ジェノベーゼは、やがてイタリアを占領した米軍のチャールズ・ポレッティ大佐に取り入り、堂々と闇市を仕切れる存在となる。
ディッキーはイタリアでの犯罪、主に食料品の闇市を調べていた。
その過程でディッキーはヴィト・ジェノベーゼという名前を耳にする。
マフィアの情報提供者によるとジェノベーゼこそ闇市を仕切る大ボスらしい。
だが正体は不明。どうやら軍の上層部から正式に通訳として雇われているという事だけはわかった。
数ヵ月後、ディッキーはナポリ郊外で燃えている米軍のトラックを発見。
調べるとそれは盗難車で、食料品や小麦粉、砂糖を積んでいたらしい。
そして盗んだ犯人(カナダ兵)を見つけ逮捕し、事情を聞くと「ヴィト・ジェノベーゼが燃やせと命じたんだ」と白状した。
ディッキーはさっそくこの事件を上官達に報告するも、誰もジェノベーゼを逮捕しようとは言わない。
しかし一人の上官が協力してヴィトを逮捕しようと申し出てくれた。
調査の結果、ヴィトの行方は不明だったが、〝これからヴィトが引っ越してくるらしい〟と噂のアパートを発見。
15日ほど張り込みを続けていると、ヴィト・ジェノベーゼらしき人物が引っ越してきた。
しかし、ディッキーが張り込みをしているという情報は漏れてしまい、ジェノベーゼは再び行方をくらました。
意外な逮捕
しかし二日後、なんとジェノベーゼは堂々と連合軍司令部に現れ、〝市外外出許可〟というものを求める手続きをしていた。
それを聞き付けたディッキーはジェノベーゼを逮捕。
ディッキーはアメリカで指名手配されている事も明らかとなったジェノベーゼをさっそくアメリカへ送還する手続きをとった。
だがなかなか手続きは進まない。。
家宅捜査
ジェノベーゼの自宅を捜索した結果、ディッキーは、軍上層部の人間からの手紙や軍事用の無線、軍の配給した食糧、怪しい電話番号の一覧を見つける。
だが結局、これらの証拠品は〝疑惑を深める〟だけに過ぎなかった。
1944年12月 一時勾留中となっていたジェノベーゼを釈放せよと上から命令がくだる。
しかしディッキーはこれに反抗。 警備の甘い刑務所に移す条件は課せられたものの、自身の責任で勾留を続けた。
翌年、1945年の6月、ディッキーはFBIと国防相の協力を得てやっとジェノベーゼをアメリカへ送還する事に成功した。
送還直前、ジェノベーゼは軍の大佐の部屋で、手錠を外され〝イタリア最後の一時〟を寛いだ。
さらに船でアメリカへ向かう道中もジェノベーゼは落ち着いた様子でディッキーに多額の寄付を申し出る。
これを拒否されると次はディッキーに脅しをかけた。しかしこれも撥ね付けられる。
やがて船はアメリカへ到着。
納得のいかない事は多かったが、遂にディッキーの執念が実を結んだのだ。
そしていよいよジェノベーゼがアメリカで、殺人罪で裁かれるという時になって、証人だった男が殺害されてしまう。
アメリカで自由の身となったヴィト・ジェノベーゼは、自身の居ない間にファミリーを乗っ取ってしまったフランク・コステロに怒り心頭。
やがてジェノベーゼとコステロの派閥争いは、多くの犠牲者を出し、さらにはマフィアの存在を世間に知らしめる事となった。
ディッキーの〝ジェノベーゼを裁きたい〟という想いは叶わなかった。
しかしディッキーがジェノベーゼをアメリカへ送還した事はやがて〝マフィアの内部崩壊〟へと繋がって行くのであった。。。