三分で学ぶ! アンソニーアッカルド
シカゴマフィア アンソニー・アッカルド
こんにちは!
今回は、史上最も長くボスを勤めた男。アンソニー・アッカルドを紹介!
アッカルドはマフィア至上でも10以内に入るほど、優秀で聡明な人物なので、ぜひ覚えてやってください!
ちなみに、このコーナー初のシカゴ勢でもあります。
アル・カポネについては、映画の公開に合わせて超ボリュームで紹介予定です。
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カポネのバッターズ
アッカルドは、シカゴのマフィア〝アウトフィット〟のボスを勤めた人物。
その経歴は、1926年から始まります。
当時、学校を退学になりギャング団に所属していたアッカルドは、ジャック・マクガーンに認められ、アウトフィットに加入しました。
アッカルドのよく知られたあだ名は〝バッターズ〟
アッカルドのバット使いが、とても素晴らしかった事からつけられた。
バットと言えばアル・カポネが部下を撲殺したエピソードが有名ですが、そのカポネに「この少年こそ本物のバッターだ」の褒められました。
後に、アッカルドがめちゃくちゃ大きな魚を釣った事から〝ビッグツナ〟というあだ名に変わったと言われています。
ビッグツナはやだな。。。
アル・カポネに気に入られたアッカルドは、〝聖バレンタインの虐殺〟〝フランキー・イエール暗殺〟〝ハイミー・ワイス暗殺〟にも参加したと言われています。
バッターズ、出塁
カポネが逮捕され、ボスの座がフランク・ニッティに渡ると、アッカルドもカポへ出世。
それは暴力的な面ではなく、金稼ぎの才能を買われてのこと。
カポとなったアッカルドの部下には、後にボスとなるジョセフ・アイウッパがいました。
(アイウッパは、映画カジノに登場するマフィアのボスのモデル)
アッカルドは、〝バッターズ〟を辞め、高利貸しや組合の乗っ取り、闇タバコや闇酒で大金を稼ぎだすように。
激しい気性ゆえに時折、爆発する事はあったものの、一般社会に溶け込めるよう努力していたそうです。
この頃、アッカルドは結婚もしている。
結婚後は、愛妻家でもありました。
マフィアのボスへ
やがてニッティが自殺するとボスの座は、ポール・リッカに渡ります。
リッカは、アッカルドをアンダーボスに任命。
その後、リッカは逮捕され〝暗黒街の住人との接触〟を禁止されてしまう。
そこで1945年からは、アッカルドがボスとなり、リッカはコンシリエーレに徹する事となる。
二人は共同でアウトフィットを運営するようになる。
やっとボスとなったアッカルドは、精力的に活動した。
麻薬ビジネスを拡大し、ラスベガスへも勢力を伸ばし、ニューヨークの五大ファミリー以上に影響力を発揮する。
それだけではなく、合法的なビジネスも手広く行った。
その一方でアッカルドは、目立つ違法ビジネスを縮小するなどの対策をとっており、その一環で売春宿は、コールガールへと変えられた。
1946年には、〝ハバナ会議〟にシカゴの代表として出席している。
ちなみに、ニューヨークのマフィアの中では、フランク・コステロと仲が良かったそうです。
ムーニーとアッカルド
1950年代後半になると、アッカルドは捜査の手を逃れるために、ムーニー(狂った)ことサム・ジアンカーナをフロントボスに据えた。
しかし、ジアンカーナはアッカルドが思っていたよりも派手好きでした。
ジアンカーナは、ナイトクラブに出入りしたり、芸能人と付き合ったりと、とにかく目立ちまくる。
フロントボスにしたのは、失敗だったと感じたアッカルドは、ジアンカーナが逮捕され一年間刑務所にいる間に、フロントボスの座から降ろしてしまった。
当然、それに納得しなかっなジアンカーナは、1975年何者かに暗殺された。
暗殺を命じたのはアッカルドと言われている。
後年のアッカルド
1972年に盟友のポール・リッカが死ぬと、アッカルドは一人でシカゴを支配した。
FBIがアッカルドを「史上最も強力で、危険な犯罪の支配者」と評したほど。
アッカルドは犯罪ばかりしていたわけではなく、妻と4人の子供がいました。
家は牧場で、表向きはビール販売の仕事をしている事にしていた。
ある時、アッカルド家族が旅行へ行った際に、アッカルド宅に泥棒が入った事があるが、泥棒は警察に捕まる前に消されてしまった。
最期は1992年、86歳の時に心不全で亡くなった。
晩年は、シカゴを離れて娘家族と暮らしたが、度々シカゴに飛んではマフィアのボスとして活動していた。
生涯現役だったアッカルドは70年間、暗黒街で活動したが逮捕された事はなかった。
(勾留されたのは16歳の時の一回だけ)
アウトフィットは、アッカルドの時代に最盛期を迎え、彼が死ぬとその勢力は衰えた。