三分で学ぶ ヴィンセント・パレルモ
三分で学ぶ ヴィンセント・パレルモ
今回はドラマ「ソプラノズ」の主人公 トニー・ソプラノのモデルとなったヴィンセント・パレルモを紹介していきます。
パレルモの生い立ち
1944年6月4日、ニューヨークのブルックリンで誕生した。
生まれながらにマフィアとの関わりは深く、義理の兄弟はニュージャージーマフィアのニコラス・デルモア、いとこにはシモーネ・デカヴァルカンテがいた。
デカヴァルカンテはニュージャージーマフィア“デカヴァルカンテファミリー”を率いるボスだった。
ただし、パレルモは当初は全うな人生を歩んでいた。
評判の良い男
パレルモが16歳の時、父が病死、母が喘息で寝たきりになってしまう。
パレルモは家族を養うため学校を退学し働き始めた。
就いたのはフルトン魚市場での力仕事。
しかしパレルモは真面目に働いた。
この頃のパレルモには良い噂がたくさんある。
それは虐待されていた子供を助けた、溺れていた子供を助けた、など。
プライベートでは結婚と離婚、再婚を経て娘二人と息子を授かっている。
この再婚相手はサム・デカヴァルカンテの姪であった。
一変する生活
離婚を機にパレルモは住宅ローン、養育費などど多額の借金を背負った。
その為、昼は魚市場で懸命に働いていた。
夜はデカヴァルカンテに気に入られ毎晩のように遊びに連れていかれていた。
この時よく連れていかれたナイトクラブがバダビンのモデルと思われます
そうしてパレルモはマフィアの友人が増えるにつれ犯罪を置かすようになってゆく。
主に参加したのは高利貸しとギャンブルで、やりすぎたパレルモは恐喝で逮捕されてしまう。
パレルモの二重生活のくだりはトニーBのエピソードに似ていますね
マフィアの道へ
1989年、デカヴァルカンテファミリーとガンビーノファミリーは共同で医療廃棄物を処理する仕事を行っていた。
このビジネスもドラマ内のモデルになっています
処理すると行っても実際には空き地に不法投棄するだけであり、その事に気がついた不動産業者が調査に乗り出した。
事態を重く見たガンビーノファミリーのボス ジョン・ゴッティは不動産業者の殺害をデカヴァルカンテファミリーに依頼。
デカヴァルカンテファミリーのボスジョバンニ・”ジョン・ザ・イーグル”・リギ はこの殺しをパレルモと二人の部下に託した。
ややこしいのですがシモーネは引退していました。
9月11日、パレルモは不動産業者を車に連れ込み射殺。
この功績を認められファミリーの幹部に任命された。
内部抗争
1989年、リギが服役するとジョン・ダマトが代理ボスに任命された。
しかし1991年、ダマトがバイセクシャルである事が発覚。
彼はソプラノズのヴィトの元ネタになっていると思われます。
代理ボスがバイであるという事は不名誉であると感じたファミリーはダマトを殺害。
刑務所にいたリギはボスの不在を防ぐため、パレルモとジローラモ・パレルモの二人を代理ボスに任命した。
この事に腹を立てた古株のチャールズ・マジュリはパレルモ二人の殺害を目論んだ。
この辺りはコラドとトニーの争いの元ネタになっています。
結局争いの末、マジュリは折れパレルモが唯一の代理ボスとして君臨するように。
この頃からパレルモは大きな権限を得て名実ともにボスのようになった。
迫る危機
1998年、デカヴァルカンテファミリーのメンバー ラルフ・グリアノがFBIの情報提供者となった。
グリアノはFBIのバックアップにより大きな稼ぎをあげ、パレルモはグリアノ幹部にを昇進させた。
しかし1999年、パレルモはグリアノがFBIの犬だと知る。
しかも幹部となったグリアノはパレルモの関与した犯罪を、窃盗から殺人に至るまでを知り尽くしていた。
ドラマにも何度も似たようなシチュエーションが登場します
命運が尽きたことを悟ったパレルモはFBIと取引することを決意、情報提供者となった。
パレルモは法廷でファミリーの犯罪を証言した後、証人保護を受け姿を消した。
その後のパレルモ
2009年9月14日、デイリーニュースはパレルモがテキサスでストリップクラブを経営していて、そのクラブは麻薬取引の温床であると報道した。
報道後、パレルモは自宅を売り払いまたも姿を消す。
2013年3月4日、パレルモは自己破産を申請したが、その後の消息は不明。
リアルトニー・ソプラノは現在もどこかで暮らしている。