マフィアの犠牲者たち

マフィアの犠牲者たち

ベンジャミン・バグジー・シーゲル

1946年にラスベガス。

建築請負業者のデル・ウェブは、フラミンゴ・ホテルの建設を任された。

依頼主はマフィアの殺し屋、ベンジャミン・“バグジー”・シーゲル。

バグジーはよく「これまでに12人の男を殺したことがある」

と豪語していたのでウェッブは心底恐れていたという。

しかし、飲み会の席でウェッブが怯えていると、バグジーはこう言ってくれた。

「そんなに怖がるなよ、マフィアはマフィアしか殺さない」

なんともカッコいいこのエピソードだが、この言葉は真実とはいいがたい。

確かに、マフィアの世界には、一般人を巻き込んではいけないという暗黙のルールがある。

しかし、実際にはマフィアによる一般人への犯罪行為が多発している。

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ということで今回は、マフィアがらみの事件に巻き込まれてしまった一般人のエピソードを紹介していきます。

マイケル・ヴェンガリ-1931年、イースト・ハーレム

マイケル・ベンガリ(左)は兄のサルバトーレと一緒に写真に写っている。

1931年7月28日、ニューヨークのイースト・ハーレムの賑やかな通りで銃撃戦が発生。5歳のマイケル・ヴェンガリが流れ弾により死亡。マイケルの7歳の弟サルバトーレを含む他の4人の子供が負傷した。

事件が起こった場所は、ヴェンガッリ一家が自宅と呼んでいた、ほとんどがイタリア人の地域。

うだるような夏の日の午後6時半のことだった。

家族で夕飯を食べ終わると、子供たちは暑さから逃れるために通りに出て行った。

そしてマイケルとサルバトーレが遊んでいると、1台の車が現れ、近くにいた密売人のジョーイ・ラオに向かって発砲し始めた。

この時、ラオは無傷で済んだが、マイケルとサルバトーレ、3歳のマイケル・ベヴィラクア、5歳のサミュエル・ディヴィーノ、14歳のフローラ・ダメリアが被弾した。

銃声を耳にしたマイケルとサルバトーレの母親カトリーヌが、あわてて通りに飛び出しす。

彼女は血だまりに沈んでいる子どもたちを抱え上げると、タクシーを呼び病院へと急いだ。

しかし、マイケルはその夜遅くに死亡してしまった。

その後、ラオの暗殺を謀ったとして、マフィアのヴィンセント・”マッド・ドッグ”・コールとフランク・ジョルダーノが逮捕され裁判にかけられている。

しかし、物的証拠が乏しいことから、無罪判決が言い渡されている。

フランク・カラムーサ・ジュニア – カンザスシティ、1919年

ヴェンガリの死よりも12年前の1919年3月28日、カンザスシティ。

マフィアのポール・カタンザロが11歳のフランク・カラムーサ・ジュニアを殺害している。

フランクの父親はカンザスシティのリトル・イタリーで八百屋を営んでいたが、ブラックハンドの脅迫状を受け取っていた。

そのためカタンサロは父親の配達トラックが通るのを待ち伏せし、同乗していたフランク・ジュニアを射殺したのだ。

警察はカタンサロを逮捕したが、犯行の目撃者に対する脅迫もあって、彼が有罪になることはなかった。

ジョニー・カストロ-1982年マイアミ

1982年2月7日、2歳のジョニー・カストロは、父親ジーザス・カストロの命を狙ったサブマシンガンの乱射に巻き込まれ殺害された。

父のカストロはマイアミで麻薬カルテルのボディーガードとして働いていた人物。

人間関係のトラブルから殺し屋のホルヘ・アヤラが差し向けられたとみられている。

後に、ホルヘは幼児の命を奪った殺人犯として有罪判決を受けた。

ニコラ・カンポロンゴ イタリア、カラブリア州、2014年

2014年1月16日、イタリアのカラブリア州で、3歳のニコラ・”ココ”・カンポロンゴが祖父でンドランゲタのメンバー、ジュゼッペ・イアニチェッリと祖父のガールフレンドとともに撃たれた。

3人の犠牲者はイアニチェッリの燃えたフィアット・プントの中で発見されている。

捜査当局はトランクからイアニチェッリの遺体を発見し、ルーフにはンドランゲッタのサインである50セント硬貨を発見した。

カンポロンゴの母親と父親はともに服役中で、カンポロンゴとその兄弟は祖父に保護されていた。専門家は口止めの為だったのではないかと考えている。

その後2015年10月、コジモ・ドナートとファウスティーノ・キャンピロンゴが殺人に関与したとして逮捕された。

おまけ

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パート2へ続きます

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