ロバートケネディとホッファpart3
マフィアを叩く
1957年11月13日、ロバートは公聴会にジョセフ・アマトを召喚した。
アマトは麻薬取締局のエージェントで、最前線でギャングと接してきた人物である。
なぜアマトが召喚されたのか?
当時FBIは「マフィア」について存在すら認めていなかった。つまり他にマフィアやギャンブルについての専門家がいなかったのである。
ロバート「マフィアのような組織はありますか?
それともイタリアのならず者の別称ですか?」
アマト「するどい質問です。
今日、アメリカには麻薬の密輸やその他の犯罪を犯すという特定の目的のために、ゆるやかに組織化された社会が存在する。だろう。。という事しか言えません」
ロバート:「それがマフィアだと思いますか?」
アマト:「イタリアを中心に全国に展開しています。国際的な組織です」
この質疑応答はほとんど無駄だった。
この翌日、マフィアのボスが一斉逮捕されたアパラチン会議が起こり、マフィアの存在は証明されたからだ。
事件を受けてロバートはFBIに対して嫌みを述べた。
「FBIは組織犯罪について何も知りませんでした。
私は知っていたがね。
70人が参加したアパラチンでの会議の後、70人のそれぞれについてファイルを求めたところ、70人中40人の情報がなかったと思います。
ほんの少しの情報でもありません。。
ある情報もニュースの切り抜きだけでそれ以上のものはありません。
私は同じ要求を麻薬取締局にもしたが、彼らは全員の情報を握っていました。
麻薬取締局は、FBIよりも組織犯罪についてはるかに多くの情報を持っているのです。
FBIはこの国のギャングについて何も知らない。
これはかなりショッキングなことです」
再びホッファ
1958年に入るとロバートはホッファにうんざりさせられていた。
いくら起訴してもホファを有罪にすることは出来ない。
何百もの連邦税の書類をつぶさに分析したが穴は見つからなかった。
1958年8月、ロバートは新たな情報提供者を得る。
名前はソル・リップマン。
彼はホッファに「組合をチームスターズと合併しなければ殺すと脅された」と述べた。
ケネディ「彼を殺すことができると言いましたか?」
ホファ「いいえ」
ケネディ「彼がいつか撃たれる可能性があるという事実について何か言いましたか?」
ホファ「いいえ」
ロバート「証人がいますよ」
ホッファ「連れてくるがいい」
ロバートはリップマンに公聴会で証言するように依頼したが、彼は身の危険を感じ拒否した。
9月になっても公聴会ではロバートとホッファの小競り合いが繰り返されていた。
ロバート「くそっ」
ホッファ「見ろ!ロバートは疲れてる!もう辞めた方がいいぞ!」
この言葉通り委員会とロバートはホッファを起訴する事を諦めるしかなかった。
現れる大物達
1959年、委員会は有力なマフィアに的を絞り召喚し始めた。
2月にはクレイジー・ジョーとその兄弟が法廷に現れた。
ロバート「あなたはアナスタシア殺害の実行犯と言われていますが関連は?」
ジョー「ここのカーペットは賭場に最適だな」
ロバートは“アナスタシア暗殺事件”について関連を問いただすもジョーは黙秘権を行使し何も話さなかった。
1959年6月10日、次に召喚されたのはシカゴのボス サム・ジアンカーナ。
ロバート「ギャンブルや売春に関与したことは?」
サングラスをかけたままのジアンカーナは、手に持ったカードから修正第5条の権利(黙秘権)を声に出して読み、クスクスとロバートを嘲笑った。
ロバート「ジアンカーナさん、女の子が笑っていると思いましたよ」
ロバートは嫌みで返すしかなかった。
労働改革
ジョン・ケネディの働きにより正式に労働改革法案が施行されるに至った。
これは言うまでもなく労働組合に蔓延るマフィアやホッファを摘発するための法律である。
法律の制定にはマクラレン委員会が行った公聴会の後押しが大きかった。
これに満足したロバートは1959年9月10日マクラレン委員会から辞任すると発表。
最終的にマクラレン委員会の公聴会では1,500人の証人が証言を行い、文書は20,000ページ以上に及んだ。
1960年に入るとロバートは兄の大統領選挙の手伝いに奔走、11月には共和党のリチャードニクソン副大統領をわずかに上回り史上最年少の大統領が誕生した。
大統領となったジョン・ケネディは弟であるロバートを司法長官に任命。
マフィアとの戦いを再開するように言い渡した。。