デ・ニーロ監督 ブロンクス物語の制作秘話
デ・ニーロ監督映画 ブロンクス物語の制作秘話
こちらの映画「ブロンクス物語」
何を隠そう名優ロバート・デ・ニーロの初監督作品なんです。
今回はプロンクス物語の制作秘話を紹介していきます。
あらすじ
1960年、ロレンツォ・アネロはブロンクス区のイタリア系アメリカ人街ベルモントに妻ロジーナ、9歳の息子カロジェロと共に住んでいた。
カロジェロはソニー率いる地元マフィアに憧れている。
ある日カロジェロは近所にて、襲われた友人を守るためソニーが殺人を犯す現場を目撃。
ニューヨーク市警察から質問を受けた時カロジェロは黙秘し、ソニーはカロジェロを気に入りるようになる。。(wikiより)一部抜粋
Cとデ・ニーロ
原作はチャズ・パルミンテリによって書かれた脚本。
当初は一人演劇として演じられていた。
チャズの本名はカロジェロ・ロレンツォ・パルミンテリ。
つまりブロンクス物語は自伝的作品だったのだ。
チャズはいくつかのスタジオに映画化権を購入するように働きかけた。
あるスタジオは100万ドルの支払いを申し出たが、チャズはそれを辞退している。
それはスタジオがチャズの条件を飲まなかったから。
その条件とは“チャズが脚本を書き、尚且つソニー役で出演する”というもの。
大抵のスタジオはソニー役にスターを抜擢したがったので映画化は夢のまた夢と思われた。。
そんな時、ロバート・デ・ニーロが噂をききつけチャズの元を訪ねてきた。
デ・ニーロは50/50のパートナーシップを提案。
二人は契約書をかわさなかったものの、握手を交わし映画化計画をスタートさせた。
アメリカに限らず、こうした大きな契約を握手だけで済ませるとは驚きである。
その後、デ・ニーロはチャズが制作のあらゆる側面に関与することを希望。
チャズは出演&脚本に加えキャスティング、編集、サウンドミキシングに携わった。
中でも特筆すべきはキャスティングである。
エディを探せ!
ロバート・デ・ニーロとチャズ・パルミンテリはキャスティングに苦労していた。
とにかくついていないギャンブラー エディー・マッシュを演じるのに適した俳優が見つからなかったのだ。
そこで二人は本物のエディー・マッシュに自信を演じて貰おうと考える。
二人がブロンクスへ向かうとエディー・モンタナロはまだ同じ場所で賭けに興じて、しかも負けていた。
二人はエディー・マッシュを説得しキャスティングに成功。
しかし、その後でジンクス、つまり“映画が負ける”のではと心配になった。
映画は撮影初日に雨に見舞われたが、興行収入は黒字となった。
さらなる苦難
キャスティングに関して他にも面白いエピソードがある。
特に難航したのがカロジェロの配役。
キャスティングスカウト班はニューヨーク市とロングアイランド周辺で、カロジェロの役を演じるに相応しい青年を探し回った。
やがてスカウトはジョーンズビーチでリロ・ブランカトーを発見した。
子供の頃、ブランカートはよくロバート・デ・ニーロになりきる遊びをしており、デ・ニーロに似ているという評判ももっていた。
ブランカートはスカウトの前でデ・ニーロのモノマネを披露し、カロジェロ役をゲットした。
子供時代のカロジェロのキャスティング方法にも驚きのエピソードがある。
キャサリン・ナルドゥッチは9歳の息子を少年カロジェロ役のオーディションへ連れて行った。
その場でキャサリンはカロジェロの母親の役も公募されていると知り合い、親子でオーデコロンを受けることに。
結果は画像の通りである。
他にもバイカーギャング役に本物のギャングが出演していたり、フランク・ヴィンセントが出演したにも関わらず登場シーンが削除されていたりとエピソードには事欠かない。
キャスティングと言えばロバート・デ・ニーロ自信もカロジェロの父役で出演している。
カロジェロの父がバスを運転するシーンを撮影するためにデ・ニーロは商用運転免許証を取得した。
デ・ニーロアプローチはここでも健在だったのだ。