セントルイスギャングとアルカポネ

セントルイスギャングとアルカポネ

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今回はカポネを手玉にとろうとしたセントルイスのギャングを紹介します。

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アルフォンス・パラッツォーロとは?

アルフォンス・パラッツォーロ

アルフォンス・パラッツォーロは1895年5月8日、シチリアに生まれ、1913年にアメリカへ移住。

彼はニューヨークに降り立ち、その後セントルイスに定住した。

パラッツォーロは昔からの友人だった〝ジャンノラ兄弟〟として知られたギャング ジョンとヴィートと組んでギャング団を結成。

ブラックハンドを真似たスタイルで、近隣の人々を恐喝しては金を巻き上げていく。

このギャング団は次第に有名となり〝グリーンワンズ〟と呼ばれることになる。

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グリーンワンズの由来は初心者ばかりのギャング団だったからと言われています。

グリーンワンズ

新進気鋭のギャング団グリーンワンズは1923年までに、セントルイスの密造酒ビジネスを支配するまでに成長。

しかし、グリーンワンズはマフィアほど組織化されたグループではない上に多くのライバルをもっていた。

当時セントルイスにはイーガンズラット、ホーガンギャング、ピローギャング、カッコウ、グリーンワンズの五つのギャング団があり、密造酒ビジネスの覇権を争っていた。

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ちなみにグリーンワンズはシチリア人のみのグループで、他の4つは様々な人種が所属していました。

セントルイスのギャング戦争

1920年代のセントルイスでのギャング戦争は激しいものとなった。

グリーンワンズは主にカッコウと激しい銃撃戦を展開、カッコウのメンバーはよく射撃の訓練を積んでいたので、グリーンワンズは苦戦を強いられることに。

1926年にまでに少なくとも13人が死亡し14人が負傷したと見られ、この激しい争いは両者の勢力を大きく損なう事となった。

そこでジャンノラ兄弟は「この争いは無駄なのではないか」と言い始め、多くの仲間の賛同を得た。

グリーンワンズは会議を行い大半のメンバーが戦争に反対したが、リーダーのパラッツォーロは聞き入れず、再び戦争を始める。

これによりグリーンワンズは戦争反対派と肯定派に二分され、多くの離脱者が出た。

この離脱者のリーダーはヴィンセント・スピクザとアンソニー・ルッソといい、二人はシカゴのジョー・アイエロと同盟を結ぶ。

アイエロはシカゴの大物ギャングでアルカポネと対立している。そこに目をつけたパラッツォーロはカポネに二人の殺害を依頼、と同時に秘密裏にカポネに対して五万ドルの懸賞金をかけた。

ジョーアイエロ

この二重殺人作戦は無謀ではあるまのの、パラッツォーロは己の力を過信してしまっていた。。

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カポネとの契約内容は謎ですが、恐らく金銭やセントルイスでの利権を差し出したものの思われます。

二重殺人の結末

1927年8月、パラッツォーロは離脱した二人をシカゴでのパーティーに誘い和解を持ちかけた。

パーティーは和やかなムードで盛大に行われたが、その後二人はアルカポネの腹心 マシンガン・マクガーンにより射殺される。

そしてパラッツォーロは最後の仕上げ〝カポネ暗殺〟に向けて動き出した。

悲しい結末

1927年9月9日 午前10時15分、パラッツォーロは通りを歩いていた所、突如車から降りてきた4人の男達に射殺された。

この男達の一人はマシンガン・マクガーンだったと言われておりアルカポネが指示したと思われている。

この事件はこれで終わらず2ヶ月後にはジャンノラ兄弟が襲撃される。

兄のヴィトは愛人宅に逃げ込んだが、家ごと蜂の巣にされたとか。。

弟のジョンは生き残ったもののグリーンワンズはほぼ壊滅状態に。

その後も細々と活動を続けたが、1928年頃には解散してしまった。

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