マイケル・フランゼーゼの証言
マイケル・フランゼーゼの証言
以下は、マイケルが議会で証言したものである。
「1980年代の初頭のガソリンの脱税詐欺を行っていた。
税金を納めないことにより週に100万ドル近く儲かった。
そのために私とパートナーはダミーのガソリン卸売会社のチェーンを設立しました。
当局がガソリン税を徴収するようになったとき、彼らは大企業であると信じていた会社が単なるペーパーカンパニーだと気付く。
バレる頃には会社は消えていて、次の会社が詐欺を行う。
最終的に会社の拠点はパナマにするようになった。
数百万ガロンのガソリンを非課税で販売し、他の売り手よりも安くガソリンを販売した、それでいて儲けは増える一方だよ」
ロシア人
このガソリン詐欺にはロシア人のパートナーが関わっていた。
マイケルはロシア人についてこう話している。
「彼らは非常に知的であると感じた。
彼らは違法な利益をあげる事を躊躇しないという驚くべきビジネスの本能を持っている。
彼らは共産主義ロシアに住んでいた経験の結果として、アメリカの法を尊重しないし、アメリカの刑務所を恐れていない。
ガソリンだけが共通点ではありませんでした。
ロシア人は他の違法なビジネスベンチャーがないかと私を頻繁に訪ねてきた。
ヤミ金、保険金詐欺、証券詐欺など、私に違法なビジネスを提供してほしがっていた」
殺しについて
フランゼーゼは多く罪を認めたものの、殺人については否定している。
この件についてマイケルは話した。
「多くの犯罪に関わった事を後悔しています。
だけれど、私は誰も殺したことはなく、他の人にそのような汚い仕事をするように命じたことは一度もありません。
私はその種のことについての知識がなかった訳ではありませんが、しかし、私は誰も殺しませんでした。」
これは本当なのか?様々な専門家が疑問を呈している。
マイケル・フランゼーゼが作家として自叙伝を発売した後、読者の多くが作中で殺人が行われていない事を気にした。
多くの場合ファミリーに入るには殺しが必須条件、テストのようなモノだからだ。
フランゼーゼはこの問いにも答えている。
「殺しのテストは放棄された。
1970年代初頭、警察の捜査が厳しさを増していたため、マフィアに入るための殺害に関する規則が中断されていたんだ。
カルロ・ガンビーノが5つのファミリーを1つに統合しようと求めていた時代で、色々な事に敏感だった」
一方、警察関係者はマイケルが少なくとも一件の殺人に関与したとみている。
それはラリー・カロッツァ殺害事件である。
ラリーはマイケルの親友であり、マイケルの3人の子供たちのゴッドファーザーであり、マイケルはラリーの子供のゴッドファーザーだった。
ラリーとマイケルはよくラスベガスで一緒に飲んでギャンブルをするような間柄だった。
だがある時、ラリーがマイケルの妹と不倫し、しかも麻薬をやっていると知ってしまう。
1983年5月20日、ラリーの遺体が発見された。
彼は右耳の後ろを一発撃たれ死亡していた。
フランゼーゼはラリーの死について訪ねられると「マフィアがラリーの死を命じたのだろう。
だけど私は相棒に警戒しろと伝えた。でもラリーは注意を払いませんでした」
ラリーに何があったのか?
いずれ明かされる日はくるのだろうか。。