ソニー・フランゼーゼとルポロ
ソニー・フランゼーゼとルポロ
マイケル・フランゼーゼは1975年10月31日にコロンボファミリーの正式なメンバーに加わった。
当時、ロングアイランドではマイケルの父、ジョン・ソニー・フランゼーゼがマフィアの主要な権力を握っていると信じられていた。
街の人は皆ソニーを知っていたし、実際に古株の幹部としてかなりの影響力を持っていた。
この事実はマイケルに有利に働いたが、後に致命的なトラブルを巻き起こすこととなる。
打ち上げられた死体
遡ること1964年、マフィアは殺し屋のアーニー・ルポロという男を始末した。
彼は“地球の裏側へ旅行にゆき”二度と姿を表さないはずだった。
しかし1964年の夏にクイーンズのビーチにルポロは帰還した。
彼は長らく漂着したことにより身体は膨満しており、黄色い紐でコンクリートブロックと結ばれていた。
警察はこの事件をソニーがヴィト・ジェノベーゼへの好意として行ったものとみて捜査を始める。
ルポロの事件は妻が「夫が行方不明になった」と警察に駆け込んだことから始まった。
ルポロの遺体は親族によって身元が確認された。実際に遺体を見た兄弟はこう話した。
「なぜ彼らがそのようにそれをしなければならなかったのか私にはわかりません。
恐ろしい。。
犯人は野蛮人です。
彼を撃ち、刺しました…彼を殺すために残虐の限りを尽くしたのです」
検死によるとルポロは38口径で頭と胸を4回、さらにナイフで18回刺さされていた。
ソニーフランゼーゼ
ソニーはジョー・コロンボがボスに出世した後、幹部に引き立てられた。
影響力はブルックリンからサフォーク郡にまで及び、ギャンブルやヤミ金、強請やナイトクラブで莫大な利益をあげていた。
ソニーはその私生活が独特なことで知られている。
彼はいつもスーツを着ており、喫煙、飲酒は嫌い、仲間とのランチ会や夕食会にも参加しなかった。
さらに砂糖が大嫌いで、絶対に砂糖の入ったものを食べたなかったという。
大規模な捜査
話を戻すとソニーはルポロ殺人事件では無罪を勝ち取った。
しかし、警察の厳しい揺さぶりによりソニーの仲間が証人に寝返ってしまう。
最終的にソニーはマンハッタンで行った違法ギャンブルで1,000万ドルを儲けたことや、銀行強盗、住居侵入などで有罪判決を受け、懲役50年を言い渡された。
そんな経緯があり、警察は“ソニーの息子”マイケルも父と同じく目の敵にし始める。。
明日には息子マイケルの話に戻ります。
ちなみにソニーは指先をマニキュアでコーティングすると指紋を残さないで済む、という発明をした人物でもありました。