マフィアに潜入した捜査官のストレス
マフィアに潜入した捜査官のストレス
ボブ・デラニーは3年間、覆面捜査官としてニュージャージーのマフィアファミリーに潜入していた。
彼に襲いかかったストレスとはー!?
捜査官ボブ・デラニー
1977年9月28日 ニュージャージーの兵器倉庫に200人の警察官とFBI捜査官が集まり、ジェノヴェーゼファミリーのメンバー34人を逮捕した。
この逮捕劇は3年間潜入捜査を行ったボブ・デラニーの功績によるもの。
連邦検察官はデラニーと彼の仲間が集めた証拠を使用して約100件の起訴を行った。
しかし、デラニーは喜びを感じなかった。
心的外傷後ストレス症候群に苦しんでいたのだ。
デラニーは後に執筆した 『秘密:マフィアに潜入した私』の中で、神経をすり減らした潜入捜査官としての日々を明かしている。
潜入捜査官
デラニーは1975に潜入捜査官に抜擢された。
州警察はデラニーに〝元兵士のギャング〟というプロフィールを用意。
〝多くの人を殺害した〟という物語も作成。
この架空の物語は彼が育った地元ニュージャージーに広がり、真実を知っていた彼の身内は困惑した。
犯罪の証拠
一方、デラニーはマフィアのメンバーに接触を試みていた。
まずデラニーは地元のバーに出入りして、マフィアがどのような振る舞いをするのかを学び始める。
そして、とあるバーのオーナーに〝盗品を捌きたい〟と持ちかける。するとオーナーは2つ返事で〝常連ギャングデラニー〟の申し出を受け入れた。
デラニーはトラック一台分の陶器を購入し、その価値の10パーセントでバーのオーナーに販売することで信頼を勝ち得る。
やがてこの仕事振りを聞いたガンビーノファミリーのメンバーがデラニーを訪ねてきて仕事を持ち掛けてきた。
デラニーはその一部始終を録音していた。
協力者ケリー
警察がパット・ケリーというマフィアを抱き込んだ事から捜査は急展開することとなる。
当局はケリーを逮捕し取引を申し込んだ。
その結果ケリーはニュージャージーファミリーのトップメンバーにデラニーを売り込むことに同意した。
ケリーが紹介したメンバーには映画「コネクション」のジャッキー・ディノルシオ、ラッキー・ルチアーノの部下ジョー・アドニスの息子であるジョーア・ドニスJr.が含まれていた。
次第にデラニーの仕事は忙しさを増してゆく。
一日に14時間はマフィアと共に過ごすようになり、その内の数時間はトップのメンバーと会議をしていた。
その間ずっとデラニーは盗聴器を身に付けていて、そのストレスは想像を絶するモノだったという。
何せ盗聴器がバレたら、その場で始末される恐れもある。
一日の終わりには必ず嘔吐していたとデラニーはこの頃を振り替えり話している。
捜査の終わり
1977年9月28日、デラニーはマフィア達を警官が張り込んでいる兵器庫に誘い出す事に成功。
ニュージャージー史上最大の摘発に満足した州警察はデラニーの潜入作戦を停止すると発表した。
作戦終了後、デラニーは州警察の組織犯罪ユニットで刑事になった。
しかしギャングとして過ごした三年の影響は大きく、デラニーは度々問題を起こすように。
やがて勧めを受けたデラニーはカウンセリングを受けることにした。
そこでカウンセラーに「あなたは心的外傷後ストレスに陥っています」と診断されてしまう。
ドニー・ブラスコ
そんなある日、デラニーはニューヨークFBIの管理官ルイス・フリーから、ジョー・ピストーネという男を紹介された。
ピストーネはニューヨークのボナンノファミリーに〝ドニーブラスコ〟の名前で潜入している最中だった。
ピストーネはデラニーの辛い日々に共感し、「これが私たちの仕事です。これはビジネス。それ以上でもそれ以下でもありません。」と言葉をかける。
これをきっかけにデラニーは立ち直り、二人は親友となった。
その後のデラニー
1980年代、州警察のバスケットボールチームの元選手であるデラニーは、審判としてバスケット界に復帰することに決めた。
デラニーはNBAの選手候補の指導なども勤め、その後は警察学校の教師としても活躍した。
デラニーは現在の仕事に満足しており、平和な日常が一番だと語っている。