最も凶悪な殺し屋ベスト5 後編
最も凶悪な殺し屋ベスト5 後編
いよいよラストとなる後編です。
No.1 ジョヴァンニ・ブルスカ
ブルスカが関わった殺人には伝説的な“ファルコーネ爆殺事件”が含まれている。
マフィアのボス サルヴァトーレ・リイナは32歳だったジョヴァンニ・ブルスカにファルコーネ爆殺チームの指揮を託した。
パレルモ空港に降り立ったブルスカは、ファルコーネが運転する車が通るであろう高速道路の下のトンネルに1,000ポンドの爆弾を設置した。
1992年5月23日、ブルスカと3人の男はパレルモ郊外の山中で待機していた。
彼らは見張り役目の男と携帯で連絡を取り合いながらファルコーネの車が来るのを今か今かと待ちわびていた。
やがて見張り役からのゴーサインを聞いたブルスカは起爆装置のスイッチを押した。
と同時に高速道路はファルコーネもろとも吹き飛び瓦礫の山と化した。
反マフィア活動の先頭にたっていたファルコーネが死亡したというショッキングなニュースは全世界を震撼させ、同時にブルスカの悪名を高めたのだった。
同年11月、検察は逃亡中のブルスカと仲間達を欠席裁判で有罪にする。
しかしブルスカが捕まることはなかった。。
逃亡先のブルスカ
1996年5月20日、シチリア島南西部の隠れ家で暮らしていたブルスカは夕食を食べながらファルコーネ爆殺事件を描いた映画を楽しんでいた。
だが突如、警官隊が踏み込んできた。
警官は容赦なくブルスカを殴り倒し彼を拘束。
これによりブルスカも万事休すと思われたが。。
破られたオメルタ
まだ若いブルスカにとって終身刑はあまりに長く、沈黙の掟はそれほど重いものではなかった。
ブルスカはファルコーネ爆殺について証言を行うことに同意。
多くの仲間を刑務所送りにし、自身は減刑を勝ち得たのだった。。
1999年、26年の刑に服していたブルスカは刑務所で書いた回顧録を発表した。
ブルスカは自身を“マフィア界最高のヒットマン”であると主張。
ファルコーネ爆殺や15歳の少年の誘拐殺人など、100件以上の仕事について告白した。
「私はジョヴァンニ・ファルコーネを殺した。
しかし、それは初めての殺しではない。
私はすでに爆弾を使ってロッコ・キンニーチ裁判官と彼の護衛の部下を殺していた。
私は誘拐されたときは13歳、殺されたときは15歳だった小さなジュゼッペ・ディマッテオの誘拐と死にも関与した。
私は150以上の犯罪を犯しました。
殺した人の名前を一人一人思い出すことはできないが100以上200未満なのは確かだ」
彼が語ったいくつかの殺人の内容は以下の通りである。
1993年、ファルコーネ爆破事件後の逃亡中にジョヴァンニ・ブルスカはテレビのニュースで仲間のサンティノ・ディ・マッテオが情報提供者になったことを知り激怒した。
ブルスカは部下に警察の制服を着せて、ディマッテオの家に送り込んだ。
部下達は「お父さんが呼んでいる」と息子を騙し誘拐。
少年はぼろぼろの状態で26か月間、拷問しされ続け、最後は首を絞め殺害され体は酸で溶かされたのだった。
その後のブルスカ
2019年10月、刑務所で23年間服役したジョヴァンニ・ブルスカは「悔い改めた」と主張しマフィアからの引退を宣言した。
彼は連邦当局に刑期の最後の3年間を自宅軟禁下で過ごしたいと頼んだ。
しかし裁判官はその要請を拒否した。
ブルスカは2021年中に刑務所から釈放される予定だ。
彼は64才になる。
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