アーノルドロススタイン殺害事件の謎

アーノルド・ロススタインの謎

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今回はアーノルド・ロススタインの死の謎について解説したいと思います!

アーノルド・ロススタインは多くの若手ギャングに資金を提供した事やマイヤー・ランスキーの師匠として知られており、「華麗なるギャツビー」のモデルでもあります。

アーノルド・ロススタイン

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死地へ向かう

1928年11月4日午後10時15分、ブロードウェイのリンディのレストランに電話がかかってきた。

発信者はアーノルドを電話口に出すよう頼んだ。

アーノルド・ロススタインはカードゲームを中断し、電話を取りに向かい、しばらく話してからテーブルに戻った。

それからロススタインは、拳銃を彼の仲間のジェームズ・ミーハンに手渡し、エクセントラルホテルの349号室へと向かう。

そこで再びギャンブルに興じたロススタインは。到着から1時間ほどしたときに撃たれた。

腹部を撃たれたロススタインは部屋を出て、ホテルのフロント近くまで歩き、そこで倒れる。

ひどく出血し倒れているロススタインを見つけたホテルの従業員は救急車を呼び、ロススタインはポリクリニック病院に搬送された。

ロススタインが撃たれたホテル

尋問

ロススタインと顔馴染みだったニューヨーク警察のパトリック・フロイド刑事は、情報を聞き出そうとした。

「誰が撃った?」とフロイドは尋ねたが、ロススタインは、「あなたは私よりも私をよく知っている、パディ」と答えるだけだった。

ロススタインの治療を担当した外科医は、「腹に撃ち込まれた弾丸は下向きの弾道をたどり、膀胱の奥深くに残っていた 。

傷は痛みを伴い、激しい内出血を引き起こしましと話していた。この弾丸の摘出にはかなり手こずったよ」 と語っている。

ロススタインの遺言

ロススタインは撃たれた二日後の11月6日に亡くなりました。だが死に際に波乱が。

死ぬ間際、弁護士は朦朧とするロススタインにペンを握らせて、無理やりに改訂した遺言をかかせた。

ロススタインが以前から用意していた遺言は妻に遺産を残すという内容だったが、改訂版では妻の他に、ロススタインの部下と愛人二人にも遺産を別けるという内容になっていた。

これが誰の意思かはわかっていない。

容疑者

やがて警察は、ロススタインの賭け仲間ジョージ・マクマヌスを逮捕した。

ジョージ・マクマヌス

目撃者の証言によると、マクマヌスは電話でロススタインをホテルに呼び出した。

それからマクマヌスとロススタインはその他の仲間達と共に賭けを始める。

次第に劣性となったロススタインは最終的に25万ドルほどの負債をかかえた。
(マクマヌスには5万ドルほど)

しかし、ロススタインは「ハメられた」といって支払いを断固拒否。

そこでマクマヌスはロススタインを撃った。。

と思われたが、証拠不十分でマクマヌスは釈放された。

暗躍するラッキールチアーノ

次にロススタインは部屋の中ではなく、部屋を出た直後に撃たれたという説が浮上した。

こ警察の捜査はかなりお粗末なもので、かなり迷走し撃たれた場所すら特定出来ていなかったのだ。

なぜ捜査がお粗末になったかと言うと、その原因はロススタインの広すぎる交友関係にあった。

ロススタインは、裁判官や映画スター、警察や政治家などあらゆる人物と繋がりをもっており、彼らは捜査によって自分とロススタインの繋がりが暴露される事を恐れ、警察に圧力をかけた。

その結果、捜査資料は何度も紛失し、まともな捜査はなかなか行われなかった。

紛失ではなく部外者により盗まれた資料もある。

ロススタインは、生前から麻薬の密売人としてもマークされており、それらの調査結果を記した資料が盗まれてしまったのだ。

この資料に登場する大物はロススタインの他にもう一人いた。

チャーリー・〝ラッキー〟・ルチアーノである。

ラッキー・ルチアーノ

「この資料が盗まれた事こそが、ルチアーノが麻薬を密売していた証拠だ」もしくは「ラッキールチアーノとマイヤーランスキーがロススタイン殺害の犯人」と語る人もいる。

様々な説が囁かれているもののロススタイン殺害事件は、今も未解決のままである。

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