リアルアンタッチャブル!? ショーンコネリーとマフィア
ショーン・コネリーとマフィア
映画「アンタッチャブル」をご存知だろうか?
史実をベースにマフィア アル・カポネと禁酒法取締官 エリオット・ネスの戦いを描いたアクション大作である。
エリオット・ネスを演じたのは名優ショーン・コネリー。
だが、コネリーがマフィアと戦ったのは映画の中だけはなかった。
1957年、コネリーはロンドンで映画『Another Time, Another Place』を撮影していた。
共演者はラナ・ターナー。
実はターナーの彼氏は、ライムグリーンのスーツとピストルのカフスボタンを好むことで知られるマフィアの幹部だった。
この映画はの内容は10歳年下のイギリス人戦争特派員と不倫関係にあるアメリカ人ジャーナリストの恋愛物語。
二人は映画の中で恋人同士を演じ、そのままプライベートでも恋におちた。
タブロイド紙は、コネリーがターナーをウェストエンドのショーにエスコートしている写真や、ロンドンの高級レストランで食事をしている写真を掲載。
この報道はハリウッド紙にも取り上げられ、ターナーの彼氏もこの記事を目にした。
怒りのマフィア
彼氏の名前はジョニー・ストンパナート。
ジョニーはマフィアのボディガードを勤める武闘派で、尚且つ女好きなことでハリウッドでは有名な存在だった。
フランク・シナトラがロサンゼルスのボス ミッキー・コーエンに「ストンパナートに妻のエヴァ・ガードナーに近づかないように言ってくれ」と頼んでいたほどだ。
話を戻すと嫉妬深いジョニーはターナーとコネリーの関係を知り怒り狂った。
ジョニーはターナーに電話して、「殺してやる」「見られない顔にしてやる」などと脅迫。
それからコネリーを始末するためにロンドン行きの飛行機に乗り込んだ。
ジョニーはターナーとコネリーが撮影していたハートフォードシャー州ボーラムウッドのスタジオに現れた。
ジョニーが駆けつけたとき、は2人がソファで抱き合っているシーンの撮影中だった。
しばらく呆然のしていたジョニーだったが、我に返り撮影中のコネリーにピストルを向け、ターナーから手を離すように命令した。
しかし、コネリーは素早くジョニーの手首をつかみ、銃が外れるまで手首をねじりあげ、それから殴り倒した。
ターナーはすぐにロンドン警視庁に通報。
駆けつけた警察官はジョニーを“銃規制違反”として国外追放した。
ちなみにこの様子はカメラで撮影されていたはずだが、映像は出てこなかった。
何者かが削除させたのである。
その後のジョニー
この映画が完成した後、コネリーは『Darby O’Gill And The Little People』(1959年)を製作するためにロサンゼルスに向かった。
アメリカは降り立ったコネリーは衝撃の事件を耳にする。
1958年4月4日、ビバリーヒルズにあるターナーの家で、ジョニーが殺されたというのだ。
犯人はまだ13歳のターナーの娘シェリル・クレーン。
彼女はジョニーが母親に暴力を振るい、脅すのを目撃。
母のために肉切り包丁でジョニーを刺したのだった。
この殺人の裁判では正当防衛が認められている。
ジョニーの死後、ターナーに宛てた彼の手紙がハリウッドの新聞に掲載された。
その中にはコネリーがターナーと娘をロンドンのボードビル・ショーに連れて行ったことに対する彼の気持ちが書かれていた。
これに怒ったのはミッキー・コーエン。
実際にはターナーがジョニーを殺害した、と確信していたコーエンはお涙頂戴劇に怒り、復讐を誓った。
その頃、コネリーはディズニー映画の撮影中でハリウッド・ルーズベルト・ホテルに滞在していた。
コネリーはホテルでミッキー・コーエンの部下から「街を出ろ、さもなくば命を狙われるぞ」という電話を受ける。
さすがのコネリーも困り果て、ディズニーの幹部に相談。
アドバイスを受け、ほとぼりが冷めるまでサンフェルナンドバレーの安いベルエアパームスモーテルに身を隠すことに決めた。
後にこの武勇伝はコネリーがジェームズ・ボンド役を射止めたきっさけになったとも言われている。