映画「カジノ」 ジェリー・ローゼンタールの真実

映画「カジノ」 ジェリー・ローゼンタールの真実

映画「カジノ」シリーズ
ジェリー・ローゼンタールの真実

映画「カジノ」でシャロン・ストーンが演じたフランク・ローゼンタールの妻 ジェリー。

彼女はかなり破天荒な人物として描写されていましたが、実際にはどのような人物だったのでしょうか?

ローゼンタール夫妻

1980年9月、家の外で夫との口論の最中にジェリー・ローゼンタールは銃を振り回した。

銃は38口径の拳銃で柄にはジェリー・ローゼンタールの名前が刻印されていた。

その壮絶な夫婦喧嘩を納めるべく、トニー・スピロトロと妻のナンシー・スピロトロがやってきた。

ジェリーは二人の説得に耳を貸さず、最終的にナンシー・スピロトロが彼女を組み伏せ、さらに駆けつけた警察官が拳銃を奪った。 

知る人のコメント

映画カジノのジェリー

2020年11月、原作者のニコラス・ビレッジと元ラスベガス市長のオスカーグッドマンは映画の25周年イベントに参加し当時を振り返った。

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オスカー・グッドマンは元弁護士で、本人役として映画に出演しています。

二人は映画のシャロン・ストーンの演技はかなりオリジナルに忠実であると話した。

「彼女はジェリー・ローゼンタールが本人役で出演しているのかと思うくらいリアルでした」

唯一の映画と史実の違いは役名がジンジャーに変更されていたことくらいだった。

ジェリー・ローゼンタールの史実

ジェリーはロサンゼルスで生まれ育ち、社交ダンサーとして活動をしていた。

父親は自動車整備士、母親は精神病で入院中だった。

ジェリーの妹は当時についてこう話している。

「私達は近所で最も貧しい家庭だった。

ヴァンナイズ高校に通い始めたジェリーには後に有名人となる友人がたくさんできた。

ロバート・レッドフォードなど。

しかし、ジェリーが惹かれたのはレニー・マーマーという男だったの」

ジェリーは15歳の時にマーマーと交際し始め、間もなく娘を授かった。

1960年、金に困っていたジェリーは娘を連れてラスベガスに引っ越す。

ジェリーはトロピカーナでダンサーになり年間2万ドルを稼ぐまでになった。

しかしダンサーは本業ではなかった。

彼女は映画で描かれたように男を手玉にとり、より多くの金をせしめていたのだ。

1968年、ジェリーはフランク・ローゼンタールと出会い、翌年1969年5月に結婚。

シーザーズパレスは二人の為に礼拝堂を建て、500人のゲストにキャビアやロブスターやシャンパンを振る舞った。

フランク自身も結婚式の費用を生涯、知らなかったという。

荒れるローゼンタール家

ローゼンタール夫妻

幸せな結婚生活は長くは続かなかった。

ジェリーは結婚を機に離れて暮らし始めた娘への手紙にこう綴っている。

「1回目の夫婦喧嘩で肋骨にひびが入り、2回目には目の回りが黒くアザになり、体は打撲だらけになった」

フランク・ローゼンタールが暴力を振るうのはジェリーだけではなかった。

フランクはジェリーの元カレの一人ジョニー・ヒックスを見つけ、フラミンゴホテルのロビーで殴り付けた。

しかしフランクは返り討ちにあい、血まみれに。

フランクはトロピカーナの自分の部屋に戻り、銃をとってフラミンゴへと戻った。

フランクはヒックスを探したが見つからず、知人にいさめられようやく落ち着いたのだった。

それから少しして、ローゼンタール家の近くのにあった自宅でヒッグスは射殺された。

ジェリーはフランクが殺したと証言したが、事件は未解決である。

グッドマンの話

グッドマンはジェリーについてこうも振り返っている。

「フランク・ローゼンタールも彼女も気性が荒かった。
彼女はウォッカが好きでいつも呼んでいた。でも薬を飲んでいるのは見たことがない。
それに良き母親としての一面も持っていた。
私は彼女を悪くいうつもりはないよ」

二人には良い時代もあり、仲のいい頃には一緒にテレビ番組“ローゼーンタールショー”に出演していたことも。

彼女は得意のダンスを披露し、会場を沸かせていた。

その後のジェリー

ジェリーとスピロトロ

1980年、ロサンゼルス警察は通りで服を脱ぎはじめたジェリーを逮捕した。

彼女はドラッグを乱用してハイになっており、警察はジェリーを精神科病棟に入院させた。

知らせを聞いたフランクはすぐに病院へ向かった。

フランクは小説“カジノ”の中でこの時の事を振り返っている。

「私が病院に着いたとき、彼女は拘束衣を着ていました。
彼女は私にそれを緩めて欲しかったが、私はそれができないと言った。
彼女は私に向かって叫び始めた。
彼女はヒステリックだった。」

フランクはこの事件をきっかけに離婚を申請した。

また、フランクは2人の子供の面倒も見始めた。

一方ジェリーは月に5,000ドルの手当てと、銀行の貸金庫から持ち出した宝石を手に入れ満足していた。

1982年11月のある朝ー。

フランクの爆殺未遂から約1か月後、路上で叫んでいるジェリーを通行人が目撃した。

ジェリーは酒とドラッグ、精神安定剤を乱用し、正気ではなくなっていたのだ。

その3日後、ジェリーは薬物の過剰摂取で死亡した。

ジェリーの死の真相やフランクの秘密についてはこちらへ↓

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