マイケル・フランゼーゼの栄光
マイケル・フランゼーゼの栄光
警察に尋問されたマイケルは「私はブルックリンにドライクリーニング店を所有している。全くまっとうなビジネスマンだよ」と主張した。
だが警察はマイケルがコパカバーナで盛大なパーティーを開いた事を知っていた。
参加者はフランク・シナトラやディーン・マーティンとサミー・デイビスジュニア、ジェイク・ラモッタやロッキー・マルシアノなど大物揃い。
とてもクリーニング店の収益で開けるパーティーではないのでは?との問いにマイケルは黙秘した。
1980年代にはマイケル・フランゼーゼの年収は2500万ドルを超え、300万ドルの豪邸で優雅な暮らしを送っていた。
マイケルはマフィアという顔の他にも、自身の映画会社のエグゼクティブプロデューサーという顔を持っており、4つの映画の権利を所有していた。
当然ハリウッドの社交界でも一目置かれた存在となり、妻は女優。
しかし完璧な生活は一気に崩れ去る。
1985年12月、マイケルはゆすり、恐喝、横領などで起訴された。
さらに65件の脱税を加えると罪状は177にものぼった。
観念したマイケルは取引に応じ、すべてに罪を認め他の事件で証言することにも同意した。
インタビュー
1992年、コロラド州イングルウッドの連邦矯正施設で服役中にメディアのインタビューを受けたマイケル・フランゼーゼはこう話している。
「今度はハリウッドの映画プロデューサーとして正直にお金を稼ぐよ。
始めは違法な収入の一部を再投資する方法として映画ビジネスを始めたが、次第に情熱を持って取り組むようになったんだ。
私はロサンゼルスに戻ってビジネスを再開することだけを望んでいるます。」
メディアはマイケルの言葉を取り上げ肩を持つ振りをしたが、その後こんなコメントを掲載した。
「マイケルの話は話半分に聞きましょう。
実際、フランゼーゼは驚くほど洗練された犯罪者です。
彼は政府に証言しましたが、マフィアのメンバーを告発したことはありません。
さらに彼は多くの犯罪を認めているが、彼が誰かを殺したことは否定している。
それに彼は何百万ドルもの財産を隠しもっているだろう」
その後のフランゼーゼ
だが予想とは裏腹にマイケルはマフィアを引退し堅気の人生を選んだ。
ここで一つの疑問が浮かび上がる。
なぜマイケルはマフィアを辞められたのか?
通常マフィアが堂々と堅気に転向できるケースはほぼない。
政府と取引をしたとなれば尚更である。
この件についてマイケルは「父が私の殺害に待ったをかけてくれたのかも。。」と話している。
一方、ブルックリン組織犯罪ストライクフォースのリーダーでマイケルを起訴したエドワード・マクドナルドはこう話している。
「私は、マイケル・フランゼーゼがマフィア人生から抜け出すために、然るべき相手に1000万ドルを支払ったと確信しているよ」と話した。
彼の著書では後に「話し合いで辞めたいと頼んだ」というような事が書かれたが実際の所は謎のままである。
とはいえイベント活動やサイン会を大っぴらに開催できているので、命を狙われていないことは間違いない。
ちなみに引退後、父とは疎遠になっていたが後に和解している。
父ソニーは死ぬまで現役であり、息子が寝返った後もファミリー内で尊敬される存在であり続けた。