ブラックハンド脅迫事件
ブラックハンド脅迫事件
ブラックハンドとはマフィアの前身とも言えるギャング団で、同じイタリア移民をゆすることで知られていた。
1918年、ブラックハンドにゆすられているというディエゴ・アレッシィと息子のカルジェロがバッファロー警察に助けを求めてきた。
シチリア移民のディエゴは食料雑貨店の従業員として、カロジェロはインターナショナル鉄道会社の運転手として働いていた。
家族はディエゴと妻、子供5人の大家族で慎ましくアパート暮らしをしていた。
なぜそんなディエゴがターゲットにされてしまったのか?
警察は疑問を抱きつつも保護を約束した。
不発弾
カロジェロは警察署に現れたとき不発弾を持ってきていた。
カルジェロによると不発弾は朝の5時ごろに実家の外の階段で見つけたものだという。
その時、実家には祖父等を含む8人がおり、“もし爆発していたら。。”という事実に震え上がったのだった。
また、カルジェロは父が以前にブラックハンドから数百ドルを要求する手紙を受け取ったものの無視したことが原因かもしれない、とも語った。
バッファロー警察のジマーマンとミラーはあり得る話だと思った。
手紙を送り付け支払いがなければ危害を加えるというのはブラックハンドの常套手段だったからである。
警察は不発弾を保管し、検査のために化学者へと引き渡した。
検査の結果、不発弾には建物全体を破壊するのに十分な爆発物が含まれていると判断される。
また科学者は不発弾の内側と外側のカバーにいくつかの特徴的な繊維が付着していることを発見した。。
衝撃の真実
警察は採取した繊維を元に徹底的な操作を開始。
3月18日月曜日に2人の男を逮捕した。
逮捕されたのはなんとディエゴとカロジェロ。脅迫事件は全て二人による狂言だったのである。
不発弾の繊維とカルジェロのズボンの繊維が一致したことから、彼らは自分の家で爆発物を保管した罪で起訴され、その後動機を話し始めた。
カロジェロは15歳の妻との間にトラブルを抱えており、カルジェロは妻と二人の子供を家から出て行くように説得していた。
しかし、妻は出ていこうとしない。
そこで騒ぎを起こし妻を怖がらせようとしたのだった。
妻は警察にこう話している。
「夫は私を家から追い出そうとしていたわ。
3月15日の朝、カロジェロは午前2時頃に仕事から帰宅したの。
それから私とカロジェロは議論を交わしたけれどお互いに納得しなくて。。
彼は私を閉じ込めたの。
爆弾が発見されたのはその直後です。」
その後、妻と子供たちは家を出て工場の仕事に就いた。
1918年5月13日、裁判官はカルジェロに妻と子供に週七ドルを支払うように命じ、この事件は幕を閉じた。