三分で学ぶ!ジミー・バークのモデルジミー・コンウェイ

三分で学ぶ!ジミー・バークのモデルジミー・コンウェイ

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今回は映画「グッドフェローズ」でロバート・デ・ニーロが演じた伝説の男をご紹介します。

バークについては謎も多く、情報の大半はヘンリー・ヒルが語ったものです。

ジミー・コンウェイの生い立ち

マンハッタンの孤児院には1931年7月5日に生まれたと記されている。

両親については、母の姓がコンウェイということしかわかっていない。

ジミーは2歳の頃から里親を点々とし、全ての家で虐待、性的虐待を受けた。

閉じ込められる、無視される、殴れるなどなどである。

この生い立ちが人間性に大きな影響を与えたことは想像に難くない。

13歳の時、ジミーは里親と車に乗っている際に後部座席で悪ふざけをした。

そこで運転していた義父が振り返ってジミーを殴ろうとした。

その拍子に車は反対車線にはみ出し、義父は死亡。

それからも義母は相変わらずジミーを虐待し、それに反抗したジミーは家に寄り付かなくなった。

13歳の時、初めて警察に補導され、14歳の時には空き巣で逮捕され少年刑務所に送られた。

盗みに入ったのは前の里親の家だったという。

ジミー少年

少年刑務所から出たジミーは幾度となく逮捕されたり、警官に殴られたりしながらも盗みを決して辞めなかった。

1949年、18歳の時、ジミーは銀行で偽造小切手を換金しようとして逮捕される。

この時点でジミーはマフィアの手先として働いていたのだ。

警官はジミーを連行すると椅子に縛り上げ、何度も殴った。

大切な事だが、ジミーは口を割らなかった。

この一件でジミーは初めて刑務所に送られた。

刑務所ではマフィア達が待っていて、ジミーに“よく口を割らなかったな”と誉めてくれた。

ジミーは一人前の男として認められたのである。

刑務所内でジミーは数件の殺しを請け負ったとされているが記録はない。

とはいえジミーがマフィアにも恐れられる存在となっていったのは間違いない。

危険な男

晩年のジミー

ヘンリーはジミーのこんなエピソードを披露していた。

「あるチンピラがジミーに借金をしていた。

チンピラは年老いた母親からも借金をしていて、それを知ったんだジミーは母親に5000ドル贈った。

その日の内にジミーはそのチンピラをバラバラにした」

1962年、ジミーはミッキーという女性と結婚した。

結婚式が近くなるとミッキーの元カレが彼女にしつこく電話をしたり、脅したりとストーカーを初めた。

その元カレは結婚式当日にバラバラにされた状態で発見された。

とにかくジミーは危険な男だったのだ。

イタリア系ではなくアイルランド系ではなかった為、正式なマフィアメンバーにはなれなかったが、ジミーはいつも一目おかれていた。

強奪のプロ

写真二枚目左から
デ・ニーロが演じたジミー・バーク
レイ・リオッタが演じたヘンリー・ヒル
ジョー・ペシが演じたトミー・デシモーネ

ジミーの特筆すべき点は狂暴性よりも鮮やかな強奪の手口である。

誰も傷つけずに、どんなものでも盗んでしまう。

ジミーがいつもハイジャックするトラックの運転手ににっこり笑って金を渡していた事から“紳士”というあだ名がついたほどだ。

ジミーはあまりに大金を稼ぐため、ルッケーゼファミリーとコロンボファミリーは、話し合いを持ち、共同でジミーを雇うことに決めた。

アイルランド人を巡ってファミリーが話し合うというのは、後にも先にもこの時だけである。

ジミーザジェント

ヘンリーがジミーについて端的に語った言葉がある。

「ジミーは盗みが大好きなんだ。
もし10億ドルやるから盗みを辞めろと言っても断るだろう。
それから10億どるをどう盗むか考えるんだ。
ジミーが盗みを辞めるとしたら死ぬときだけさ」

ウィリアム“ビリーバッツ”ベントナ

1970年、ジミーはヘンリーとトミーと共にガンビーノファミリーの一員 ウィリアム“ビリーバッツ”ベントナを殺害した。

きっけけはトミーがベントナにからかわれた事だった。

それを根に持ったトミーは、2週間後にベントナを殺害。

遺体はジミーの友人の犬小屋の下に埋められた。

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埋める為のシャベルはトミーの母親に借りました

しかし約3か月後、犬小屋のあった家は売却され、工事が行われることに。

そこで三人は遺体を掘り返し、廃品回収工場でスクラップしてからジミーが経営するレストランの地下に埋め直した。

1972年11月、ジミーのヘンリーはフロリダに行った際に友人の借金の取り立てを手伝い、男を袋叩きにする。

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皆さんご存知だろうが、彼の妹はFBIのタイピストで二人は逮捕されてしまった。

バークは刑務所に送られ6年後に仮釈放された。

この頃からバークは麻薬ビジネスに手をだし始めたと言われている。

1978年12月11日、ジミーは587万5000ドルを空港から強奪した。

ルフトハンザ強奪事件である。

詳細は「三分で学ぶ ルフトハンザ強奪」を参照して欲しいのだが、バークは史上最大の強奪をやってのけた。

しかし後に不安に駆られたジミーは関係者を次々と殺害した。

その人数は少なくとも10人以上。

これにより事件は未だに未解決のままである。

逮捕

1982年、麻薬密売で逮捕されたヘンリーが政府に寝返り、ジミーの違法賭博ビジネスについて証言した。

ジミーは大学バスケットボールの試合で八百長をさせたとして懲役12年を言い渡される。

1979年には殺人で再逮捕、さらにヘンリーの証言から余罪が浮かび上がり20年の懲役が追加された。

最期は獄中でガンを患い1996年4月13日に死亡。

映画のクレジットで流れるように2004年3月11日に仮釈放される予定だった。

ちなみに2013年、FBIはジミー宅を掘り返し人骨を発見している。

また、ジミーには3人の子供がおり、内2人はマフィアとして活動している。

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