ジミー・フラチアーノとミッキー・コーエン
ジミーフラチアーノとは?
通称“イタチのジミー”。
ロサンゼルスファミリーのメンバーであり、映画「アイリッシュマン」の重要なシーンにも登場している。
ジミーについては様々なエピソードがあるので、定期的に紹介したいと思います。
ミッキー・コーエン暗殺計画
ロサンゼルスのボス ミッキー・コーエンはジャック・ドラグナと水面下で覇権争いを繰り広げていた。
1446年、ドラグナは親友であるジミーにコーエン殺しを依頼。
ジミーはコーエンに取り入ることに成功し、今か今かとチャンスを待っていた。。
1948年8月18日、ジミーは家族を連れてコーエンの事務所を訪れた。
コーエンとジミーは流行りの舞台演劇について談笑し、やがて二人は握手して事務所を出た。
コーエンがいると確認したジミーは合図を送り、入れ違いに殺し屋達が事務所へと雪崩れ込む。
少しの間のあと銃声がとどろき、事務所から逃げ出すコーエンが見えた。
殺し屋達が挨拶代わりに発砲した際、コーエンは幸運にも便所におり難を逃れたのだった。
これは幸運ではあったが偶然ではない。
コーエンは極度の潔癖症であり、握手した手を洗いにトイレに立っていたのだ。
つまりジミーの失策だった。
その後もコーエン暗殺の試みは続くも成功せず、遂にドラグナはコーエンの自宅を爆弾で吹き飛ばす事を思い付く。。
コーエン爆殺計画
1949年6月、ドラグナとジミーはコーエンを吹き飛ばす算段を建てていた。
ドラグナ「こいつで自宅ごと吹き飛ばすんだ」
ジミー「いいアイデアだ」
ドラグナ「奴の家族は巻き込みたくないが。。」
ジミー「心配要りません。奴は嫁さんとは別の部屋で寝るんです。
売春婦が好きで○○○だけ頼むんでさ、それで寝室はべつ。 奴のベッドの下辺りの軒下に爆弾を置けば大丈夫です」
そしてコーエン宅が寝静まった頃、軒下に設置した爆弾に火が付けられた。
しかし、爆弾には不備があり不発。コーエンは難を逃れた。
1949年7月29日、ドラグナは再び殺し屋を送り込んだ。
ジミーは体調が優れず、この時は見張りに徹していた。
コーエンが馴染みの店から出て愛車にに乗り込もうとしたとき、殺し屋が散弾銃を撃ちまくった。
コーエンのボディーガードは死亡したが、彼自身は無傷。 。
コーエンは運が良く、愛車に傷を見つけ発砲の瞬間しゃがみこんでいたのだ。
コーエンの幸運
同年、ドラグナは凄腕のスナイパーを雇い運転中のコーエンを狙撃させた。
しかし不思議なことにコーエンには一発も当たらない。
次は別の殺し屋が散弾銃で狙ったが、これも全て外れた。
痺れを切らしたドラグナは別の戦法に出る。
コーエンは7人の部下、通称“7人の小人”と呼ばれた男達を保釈させるために大金を積んでいた。
そこでドラグナはコーエンを困らせるべく、この7人を殺害しては行方不明にして保釈金を棒にしてやることに。
この試みは成功し、コーエンはかなりイラつかされた。
再び爆弾
1950年、ジミーは再びコーエンの自宅に爆弾を仕掛けた。
夜中、コーエンは警報ブザーに気がつきベッドから飛び起きた。
窓を開けて外を覗くも、辺りは静か。
窓を閉めて一息つくと僅かに異臭が。。
その時、自宅が大きく揺れコーエンはふっ飛んだ。
自宅の窓は全て割れ、コーエンの寝室には巨大な穴が空いた。
しかしコーエンと家族、飼い犬は皆無事だった。
爆弾は金庫の下の軒下に設置されており、金庫がガードの役目を果たしコーエンは命拾いしたのだ。
だが大切な40着のスーツコレクションは台無しとなり、コーエンはひどく悲しんだ。
これを見た警察は「なんて運のいい男だ。。」とコメントしたとか。
ドラグナはコーエン殺害を遂に断念した。
明日で最終日です!ぜひご覧ください!